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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

さらに矛盾している大石寺感覚

殺について五戒も無視する日蓮さんの教えですが、流石にそれではマズイので近年では実はウチは社会的な団体だと偽装しているようです。

「あるいはいくさをして所領を給び、(乃至)仏にもならざる上、其の人々あともなくなる事なり」

ここでは、大聖人御在世の衆生の姿を通しての御指南です。「戦をして所領を給び」とは、戦争において手柄を立て、その報償として与えられた領地から生み出された財宝を供養することです。つまり、敵兵を殺害することが戦の手柄となりますから、殺生をして得た宝を仏に供養することです。また領民から搾取したものを仏に供養したとしても功徳にはならないことを述べられています。

大聖人様は「戦争は悪業である、地獄への道である」とここで明確に仰せです。平時であれば人を殺すことは殺人罪で罪を償わなければなりませんが、戦争で敵兵を倒すと勲章が授与され名誉とされます。しかし、仏法の上からは、どのような理由があったとしても人を殺すことは殺生罪であり罪深い悪業であると仰せになる大聖人様の御指南を拝し、人が人を殺して誉められるような悲惨な戦争のない世界を築かなくてはなりません。立正安国論で大聖人様が指し示して下さる道は世界の平和です。私たち日蓮正宗の信仰者は、世界中の戦争が一刻も早く終結することを願い、争いのない世の中の実現を祈り、そのための折伏を実践しなくてはなりません。日蓮正宗の使命はここにあります。

どうでしょう、赤文字部分のウソっぽいこと。かつて戦争中には法主自らこんなこと言ってたのをもうお忘れのようです。

◎「尚ほ法道會に於ては両日参拝者の浄財(じょうざい)を總(す)べて軍資金の内へ献納(けんのう)しまた戦勝守護の御本尊一萬幅を特志者(とくししゃ)に授與せられたり」(法乃道・(明治37年4月発行)

◎「吾日本國に前代に未だ在しまさざる聖天子出現在しまし大詔を下して彼の暴悪なる露國を始とし遂に歐米諸國をも併呑し是等の諸國を吾か属國となし吾が 天皇陛下をして世界の大王仰しむるの時には一人の聖人出現して此の大法を世界に廣布せしむべきなり今既に巳に其の時機なること經文顯然なり若し爾ば吾國の他國に向て干戈を動かすこと彼の露國を剿滅し城下の誓をなすに止らずして獨佛等の各國とも戰鬪を開く時機敢てなきにあらず」 (法乃道・明治38年8月発行)

◎「本日米国及英国ニ対シ畏(かしこ)クモ宣戦ノ大詔(たいしょう)煥発(かんぱつ)アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ(中略)本宗宗徒タルモノ須(すべから)ク聖慮(せいりょ)ヲ奉体(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮(ふる)ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ以テ前古(ぜんこ)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ 右訓諭ス」(昭和16年12月8日・鈴木日恭の訓諭)

一番目は日露戦争の時代から、第一次世界大戦、一番下は太平洋戦争。これらの時代の言い訳は、ああいう時代に板本尊を護るための方便だそうです。でも、こういう戦争時代に信者や坊さんも徴兵されて、法主が訓戒したことをそのままに殲滅しようと敵に向かって鉄砲ぶっ放してるんですけどね。

昨日に続いて殺ネタ系。

日蓮さんは女性信徒やちょっと物事にうとい信者には大ボラかます癖があります。これって今の大石寺も極小信者しかいないのに世界広宣流布とか似たようなもんです。

で、日蓮在世にいた千葉方面に光日房って後家尼の息子に弥四郎って若武者がいたんですけど、その人は元寇のせいで九州に派遣されて敢えなく討ち死にしたようです。

又御消息に云く人をも・ころしたり(殺したり)し者なればいかやうなる・ところにか生れて候らん・をほせ(仰せ)をかほり候はんと云云(光日房御書)

この尼さんが日蓮さんに武士など殺傷をするのが日常的な息子が元寇で幾人かを殺した挙句に自分も死んだのできっと来世は地獄でしょうね、と尋ねたようです。そんなこと似非坊主に分かるわけないのに、またここでも大ボラです。

人のをや(親)は悪人なれども子・善人なれば・をや(親)の罪ゆるす事あり、又子悪人なれども親善人なれば子の罪ゆるさるる事あり、されば故弥四郎殿は設い悪人なりともうめる(産める)母・釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらは(嘆き弔わ)ば争か(いかでか)彼の人うかばざる(浮かばざる)べき、いかに・いわうや彼の人は法華経を信じたりしかば・をや(親)をみちびく(導く)身とぞ・なられて候らん。 
法華経を信ずる人はかまへて・かまへて法華経のかたき(敵)ををそれ(恐れ)させ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をば、いかに法華経をよむ(読む)とも法華経のかたき(敵)としろしめす。(光日房御書)

【現代文】通説では人の親は悪人であっても子が善人であれば、親の罪を許すこともある。また子が悪人であっても、親が善人であれば、子の罪を許されることもある。さて、故弥四郎殿はたとえ悪人であっても、生みの母が釈迦仏の御宝前で昼夜にその罪をなげき・息子の回向をするならば、きっと弥四郎殿は地獄であっても成仏するでしょう。ましてや弥四郎殿は生前は法華経を信じていたのであるから、悪道へ堕ちるどころか、親に信仰を強く持たせて自らと親とを成仏へ導く身となったのでしょう。

かくの如く法華経を信じているならば、まず法華経の敵をハッキリさせなければいけません、それは念仏者と持斎と真言師です。題目を唱えない人は一切敵です、これらを責めることが法華経を読むということを言っておきます。

怖いですね、人の弱みに付け込んで洗脳していますね。殺傷の罪は必ず悪道に堕ちるという悪因苦果の因果の理法を無視して上記のような脱法を説いてるんですよね。

ということで、日蓮系にやたら暴力的や非道な人が多いのは、何やっても題目唱えていれば許されると思ってるんです。特に気をつけましょう、個人情報秘匿厳守の時代に、同窓会名簿やPTAの名簿使って折伏してくる非常識な大石寺信者の世渡り感覚。