正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正宗は本尊中の菩薩諸神はシンボルだと

日蓮正宗の仏菩薩についての現在の見解はかなり祖師の意向と離れています、いちおう文字曼荼羅正意ということを言ってますので突き詰めて考えますと、非常な矛盾が生じます。

次に仏について申しますと、仏典に説かれるたくさんの仏や菩薩(ぼさつ)たちも、ほとんどは歴史的に現実に地上に出現したことはありません。身近なところでは、念仏宗阿弥陀如来や、真言宗大日如来なども実在したことのない仏です。
ではなぜ、架空といえる仏や菩薩が経典に説かれたのかと申しますと、インドに歴史的に現実に出現したお釈迦(しゃか)様は、宇宙法界の真理と生命の根源を解き明かすために、生命に備わる働きや、仏の徳を具象(ぐしょう)的・擬人(ぎじん)的に仏・菩薩の名を付けて表現されたのです。例えば智慧を表わすに文殊菩薩もんじゅぼさつ=三人寄れば文殊の知慧というのはここからきています)、慈悲の表象(ひょうしょう)として弥勒菩薩(みろくぼさつ)、病を防ぎ、癒やす働きを薬師如来、薬王菩薩、美しい声を妙音菩薩というように、それぞれ擬人化して名を付けられたのです。
これらの仏・菩薩は、教主であるお釈迦様の力用(りきゆう)を示すために説かれたわけですが、お釈迦様自身は、厳然としてインドの釈迦族の王家の王子として誕生され、出家して修行し宇宙の真理を悟(さと)り仏様となって、人々に多くの教え(お経)を遺(のこ)されたのです。(日蓮正宗サイトから引用)

これを見ると坊さん的には法華経は全否定ということで良いかと思いますね。しかも諸神・仏菩薩は現代風に実はこうだ、と言ってますけど、そうなると本尊に書かれた仏菩薩たちもすべて架空、擬人、表象ということで何が書いてあっても心の働きを現しているなら良いということになります。

法華経の登場人物が全て架空なら、同じようなドラえもんポケモンでも菩薩の働きと認識できれば書き入れできるってことですね、勿論正宗の本尊にそういうことはやらないとは思いますけど、考えとしては有りということですw。

日蓮の勧請仏菩薩などの見解

正宗の見解としては、仏典の仏菩薩などは釈迦の慈悲やチカラのシンボルで、実在性は問わないと言ってました、さて日蓮遺文にはどうあるでしょう?

◎「法華已前には仏も実仏に非ず、九界を隔てし仏なる故に。何に況んや九界をや。然るに法華の意は、凡夫も実には仏なり、十界互具の凡夫なる故に。何に況んや仏界をや。」(戒体即身成仏義)

◎「本覚の寤の法華経の時には、別教には実仏無し、夢中の果なり。故に別教の教道には実の仏無しと云ふなり。」(三世諸仏総勘文教相廃立)

◎「今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う寂光の仏を以て円教の仏と為し円教の仏を以て寤の実仏と為す余の三土の仏は夢中の権仏なり」(三世諸仏総勘文教相廃立)

◎「首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」(日女御前御返事)

 赤文字部分を御覧ください、どうやら日蓮法華経に現れた仏は実仏だと言ってるようです。これは久遠釈迦仏だけでなく多宝如来などもリアルの仏で、他にも阿弥陀如来も出てきますし、法華経に現れる仏は五仏や多宝如来、錠光如来の他に日月燈明仏、燃燈仏、大通智勝仏、威音王仏、雲自在燈王仏、日月浄明徳仏、浄華宿王仏、雲雷音王仏、雲雷音王宿王花仏などは実仏に当たるんですから、ちょっと祖師さんの意向と違ってきますよね。

さらには無数の菩薩である弥勒菩薩文殊菩薩観音菩薩普賢菩薩などなど、みんなリアルを仮定しなければ経典が成立しませんね。薬王菩薩などは日蓮は天台の再誕と言ってます。

弥勒菩薩は本門部分の対告衆ですけど、この方を否定すると法華経のほとんど全否定ですがね・・w。