正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

最初から、怪しいんです→2個目

一念三千の数合わせである、十如是が五如是だとマズイですね、一念千五百になってしまいます。しかも正宗系のご本尊とかの問題も出てきますし、正宗系は絶対認めないだろうと思いますが、五如是となっている正法華経・添品法華経を読んでいたか、どうかですけど日蓮さんの残した書物に確認できます。

此の「恐怖悪世中」の次下の安楽行品等に云く「於末世」等云云、同本異訳の正法華経に云く「然後末世」又云く「然後来末世」、添品法華経に云く「恐怖悪世中」等云云(寺泊御書・真筆有)

 

法華経の第八に云く「法華の名(みな)を受持せん者・福量(はか)る可(べ)からず」正法華経に云く「若し此の経を聞いて名号を宣持(せんじ)せば徳量る可からず」添品(てんぽん)法華経に云く「法華の名(みな)を受持せん者福量る可からず」等云云(法華経題目抄・断片存在)

 これは羅什版の法華経の偈と他の異訳経典での言語を確認している箇所です。ここにしっかり出てきますね、ここだけ読んだということは無いですから知ってたということです。で、羅什さんの日蓮さんの評価ですが、これがベタ褒め。

 「漢土に経論をわたす人・旧訳・新訳に一百八十六人なり、羅什三蔵一人を除いてはいづれの人人も誤らざるはなし」(撰時抄・真筆有)

 と、こんな感じなんです。でも近代の文献学では鳩摩羅什は、恐ろしいほどの意訳の人でこんなに変えるの?という箇所や勝手に削除した文章も有り、経典が仏説とはきっと思ってなくて、通じればいいという人だったようです。

ちなみに十如是のサンスクリット版の本はこんな感じ、確認して下さい。

如来こそ如来の教えを教示しよう。

如来は個々の事象を知っており、如来こそ、あらゆる現象を教示することさえできるのだし、如来こそ、あらゆる現象を正に知っているのだ。

すなわち、それらの現象が何であるか、それらの現象がどのようなものであるか、それらの現象がいかなるものであるか、それらの現象がいかなる特徴をもっているのか、それらの現象がいかなる本質を持つか、ということである。

それらの現象が何であり、どのようなものであり、いかなるものに似ており、いかなる特徴があり、いかなる本質をもっているかということは、如来だけが知っているのだ。

如来こそ、これらの諸現象の明白な目撃者なのだ(梵本・法華経