正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

最初から、怪しいんです→8個目

さて、もう一つ法華経の諸経に優れる理由が法華経方便品の「正直捨方便 但説無上道」を挙げますけど、これがまた・・・。

【方便品:漢文】舎利弗当知 鈍根小智人 著相憍慢者 不能信是法 今我喜無畏 於諸菩薩中 正直捨方便 但説無上道 菩薩聞是法 疑網皆已除 千二百羅漢 悉亦当作仏

【方便品:読み下し】舎利弗 当に知るべし 鈍根小智の人 著相憍慢の者は この法を信ずること能わず
今 我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て 正直に方便を捨てて ただ無上道を説く
菩薩この法を聞いて 疑網皆すでに除く 千二百の羅漢 悉くまた当に作仏すべし

この中の 「正直に方便を捨てて ただ無上道を説く」法華経を説くまでの釈迦一代の説法の過程の経典は五時八教に照らして、方便であることを釈迦が言ったということです。

天台大師も伝教も日蓮も、そうそう、と首肯してますが、中国で仏教ができてたら問題ない、でも仏教はインドですのでサンスクリット語法華経は該当箇所はこうなってます。

今、ここにおいて、執着のある愚かな者、増上慢の者たちは、この教えを信じないだろう。しかし、これらの菩薩は確かに聴くであろう。

私はすべての臆病な心を捨て去って恐れる心がなく、喜んで、これらの菩薩の中で教えを説きまさにこれらの菩薩を悟りへと導くのだ。

これらの菩薩たちを見て、あなたの疑いは除かれるだろう。そして、この煩悩から離れている1200人の阿羅漢はこの世間においてブッダとなるだろう。(梵本法華経・該当部分)

 お気づきかと思いますが、どこにも「正直捨方便」に当たる語は無いんですね。実はこの語句は鳩摩羅什の意訳添加で経典にない言葉を入れたようです。

しかも羅什版では素直に読むと、正直に方便を捨てたのは、お釈迦さまのほうで、集まった聴衆に今までの方便を捨てろとは言っていません。これは天台以下誤解釈ですね。

さらに現代研究の成果で言えば、梵本と漢文漢訳の対照を行ってアカデミックの世界では、以下のようです。

■今や我、喜びて畏るるものなく、数多の菩薩達の真中に在りて、
臆することなく方便を与えて、一向にこの上なき覚りを説き明かすなり。(金森天章氏訳・現代訓読・法華経

■またその時、私は、すべての臆病な心を捨て去って、恐れる心がなく、歓喜しており、人格を完成された人(善逝)の息子(菩薩)たちの中で(法を)説き、まさにそれら(の菩薩たち)を覚り(の達成)へと教化するのである。(植木雅俊・梵漢和対照・現代語訳法華経

とりわけ、下の植木氏の訳では該当部分は「私は、すべての臆病な心を捨て去って」 という意味になっています。

さぁ、困りましたね正宗系の教団解釈。今までは法華経絶対優位、これをベースにご本尊の正統性を謳ってました。見事にチャブ台返しで、どうするんでしょう。