正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

最初から、怪しいんです→1個目

どこの宗派にもご本尊というのがありますけど、これが日蓮系ではアキレス腱で、仏像を立てるところもあり、日蓮が現した紙幅の文字曼荼羅を本尊とするところもあり、700年以上も祖師さんの本懐について物議が絶えないんです。

それくらい文書で残しておけよ、と思うのですが直弟の六老僧が分散指導の頃から決定できないので、どちらも有りだと思うのですが、正宗系は承知しないんです。

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり、天台・妙楽・伝教 内にはかがみさせ給へどもひろめ給はず、一色一香とののしり惑耳驚心とささやき給いて 妙法蓮華と云うべきを円頓止観とかへさせ給いき」(草木成仏口決・真筆無)

正宗系は大曼陀羅を根幹として、一念三千の文字曼荼羅を本意としますので、譲れないんですよね。しかも弘安二年に板にした本尊(通称・戒壇大御本尊)を立ててますので、 大問題となるんです。

ところがですね、一念三千も怪しいのに、中身はもっと怪しいんです。と言うのは十界×十如是の十如是というのは、法華経方便品の偈から取ったんですが、この箇所ですね。

仏の成就(じょうじゅ)せる所は、第一の希有(けう)なる難解(なんげ)の法にして、唯(ただ)、仏と仏のみ、乃(すなわ)ち能(よ)く諸法の実相を究(きわ)め尽くせばなり。謂(い)う所は、諸法の是の如き相と、是の如き性、是の如き体、是の如き力、是の如き作、是の如き因、是の如き縁、是の如き果、是の如き報、是の如き本末究竟等なり(法華経方便品)

 この「謂う所は、諸法の是の如き相〜本末究竟等なり」までが十項目なので十如是なんですが、どうも翻訳した鳩摩羅什さんが勝手に変えたようですね。

鳩摩羅什以外の漢訳(正法華経・10巻26品(竺法護訳)添品妙法蓮華経・7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳))は「何等法・云何法・何以法・何相法・何体法」法華論より、これを五科法という

五如是と十如是では数が合わなくなります、日蓮さんがそういうことを知っていたかどうかですが、これが知ってたんですね。確信犯でヤっちゃたんですね。