正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

こういうことはバックレる→8

仏罰の話で終わっては片手落ちですので、こんどは功徳の元というところですが、「有供養者福過十号」のことについて。

この言葉のオシリの「福過十号」は福十号に過ぐ、という意味で出典根拠は妙楽大師の天台大師・法華文句の注釈書「文句記」です。

◆「供養(くよう)する有(あ)らん者(もの)は福十号(ふくじゅうごう)に過(す)ぐ」

この語句は、薬王菩薩本事品に説かれている法華経受持の功徳を妙楽大師が釈した文なのですが、原典の経典にはかくあるだけです。

「若(も)し復(また)人有って、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏、及び大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。

是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如(し)かじ」

 ここには十号という言葉はありません、つまりこれは解釈の時に付け加えた言葉です。いわゆる造語です、日蓮の文書にもこの造語引用した手紙が多くあります。

「末代の法華経の行者を讃(ほ)め供養せん功徳は、彼(か)の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給ひて候。これを妙楽大師は福過十号とは書かれて候なり」(法蓮抄)

と、いうことで十号とは仏の異名で如来・応供(おうぐ)・正偏知(しょうへんち)・明行足(みょうぎょうそく)・善逝(ぜんぜい)・世間解(せけんげ)・無上士(むじょうし)・調御丈夫(ちょうごじょうぶ)・天人師(てんにんし)・仏世尊(ぶっせそん)」の十個の名称のことです。

ケチを付けるわけではありませんが、日蓮は仏説の経典ではなく、論師の妙楽大師の文句記からの引用で「有供養者福過十号」と使っているわけです。

あれだけ経文経句を優先し、うかつに論師の教説は用いないとしている日蓮が、法華経にはない言葉を信者に拝ませる本尊に書き入れしているのも不審ですが、以上をみても、そのものズバリの言葉は経典にはありません。

そしてこの十号ですが、これは日本仏教の習慣として固定されているだけで、論書によっては十一号と書かれたものもありますので、中国・日本通じての定説では無いんですね。