正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

こういうことはバックレる→10

前回の如来十号の記事で一番目に上げた「阿羅漢→貪尽・瞋尽・癡尽の者 」ですが、それぞれ貪りが尽きた、瞋(いかり)が尽きた、癡(おろか)が尽きた、人を阿羅漢と言います。

友サーリプッタ、「阿羅漢性、阿羅漢性(アラハッタ、阿羅漢位、阿羅漢果)」と言われる。


友よ、何が阿羅漢性か。
友よ、貪りが尽き、瞋りが尽き、癡かさが尽きること。これが阿羅漢性と言われる。


友よ、この阿羅漢性を実証する道、道跡はあるのか。
友よ、この阿羅漢性を実証する道、道跡はある。

 
友よ、何がこの阿羅漢性を実証する道であり、道跡なのか。
友よ、この聖なる八支の道はこの阿羅漢性を実証する。


即ち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。


友よ、この道、この道跡がこの阿羅漢性を実証する。
友よ、この阿羅漢性を実証する道は善である。道跡は善である。
友サーリプッタ、また不放逸となるのに十分なものである」
(南伝大蔵経15 相応部経典4)

 と、問答形式で説かれています。この経典からも、阿羅漢とは「貪尽・瞋尽・癡尽の人」で、この境涯においては如来も弟子も同じ阿羅漢です。

こうした阿羅漢に関しては日蓮系はほぼ同じ理解で以下のように下します。

二乗(声聞・縁覚)は見惑を断じ四悪趣をはなれ、思惑を断じて三界の生死を出離すると説きます。

この二乗は法華経以前の経には灰身滅智の者であり、ゆえに、十八界を断じ灰身滅智しても生まれるところはなく、永不成仏の者ときらわれます。

また、この小乗の教えでは、三界いがいに浄土があるとは説いていないので、浄土として生まれる所もないことになります。

小乗の経典における菩薩は、見惑・思惑を断じて灰身滅智するのですから、三界に生まれて衆生を教化することができません。

つまり、見惑・思惑を断尽できない凡夫と同じです。また、仏も見惑・思惑を断じると説き、阿羅漢を最高の位階とするので、仏も二乗と同じことになります。

 

 こういう風に阿羅漢果を小乗の悟る世界として差別し、侮辱します。法華経でも阿難尊者や舎利佛、大迦葉を小さな悟りに耽溺して衆生救済を怠ったと、懺悔して其々が仏性と法華経功徳で遠い未来に成仏する記別を釈迦から貰って大喜びしている記述があります。

これをベースに日蓮も阿羅漢を侮蔑し、正宗系も多くは小乗と蔑んでいます。