正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

阿羅漢は灰身滅智か?

大乗と小乗というのは大乗仏教教団からの区別で、中国では定説化されましたけど、大昔からインドでも争論が絶えなかったようです。

小乗仏教とは、自身の永遠の幸せ(涅槃)を得るための教えを指します。自利を求め、阿羅漢(羅漢)になり、「灰身滅智」(身を灰にし、智慧を滅して、すっかり何もなくしてしまう。という事を理想としています。修行としては、三十七菩提覚支が中心です。

大乗仏教とは、自分自身が幸せになる小乗仏教の教えだけでなく、他人をも幸せにする道、仏になるための教えを指し、顕教密教とに分かれます。自利とともに利他を目的とする。顕教の修行は、三十七菩提覚支の他、六波羅蜜などの菩薩行を行います。(大乗とは・某教団解説)

 この三十七菩提覚支ですが、部派仏教の修行法をベースにしてますので、これが大乗側の修行法ともいえないのですが、六波羅蜜は(布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧の六種の修行)はポピュラーですが、これも否定しているのが、専修念仏とか唱題思想ですね。

これらのベースは大乗側の意見として、小乗は自利のみ求めて化他を忘れという理屈ですね。それは釈迦の遺誡に背くというわけです。大乗は菩薩精神を軸として自分が例え菩提を獲得してもそれを投げ打って、縁ある衆生救済を願行として尽きるまで何度も生まれ変わって救済する、らしいです。

灰身滅智(けしんめっち):身を灰にし智を滅する意。身心ともまったくの無に帰すること。中国仏教において,部派仏教の最終目的である無余涅槃をさしていう語。大乗仏教からは,一種の虚無主義的で不完全な悟りの境地だとして批判された。(ブリタニカ百科事典)

 という大乗側の理屈を検証すると、そこに避けて通れない「我」という問題が胚胎しているように思えます。

大乗側の理屈で言えば、何が救済し、何が転生するんでしょうね?一般的に正宗側もこの「我」が転生するような論調が見えます。