正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

阿羅漢は灰身滅智か?:3

大乗では三乗というカテゴリーを設けて、原始仏教の六道境涯の欄外に、そういう境涯をシフトしました。

三乗とは何かと言うと「声覚・縁覚・菩薩」と言う三種類が仏の境涯に至るまでにあるとの考え方です。乗とは、大乗・小乗と同じ乗り物(枠)と言う意味。

1・声覚とは、釈尊の説法を聞いて、仏道を学問的に探求していくという志向性十大弟子が相当)。
2・縁覚とは、特定の師を持たずに外界の世界を観察する事によって、仏道を探求していくという志向性
3・菩薩とは、寺院にとらわれずに社会・日常生活を通じて、化他を施し仏道を探求する志向性

これらのカテゴライズされた考えは初期仏教にはなく、大乗仏教が興起したときに上座部との差別化のために、設けた考えで声覚や縁覚の二つの修行法を大乗仏教の人たちは、小乗仏教と言って差別したわけです。

特に在家の人たちが主導したであろうと見られている大乗仏教は、象徴的な仏典である維摩経にそのキャラクターが鮮明に現れています。

維摩居士という人が釈迦の十大弟子を空理に至っていないと木っ端微塵に砕くお話で、唯一文殊菩薩のみがお相手で来たというストーリー。

妙法蓮華経般若経阿弥陀経など初期大乗仏典はほとんど十大弟子の阿難や舎利佛(阿羅漢者)を小さな悟りに拘泥すると馬鹿にしています。

日本仏教でもその例に漏れず小乗の阿羅漢というのは全宗派で卑しまれたのでしょうか?

ところが、調べた所そうではないようです。