正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

阿羅漢は灰身滅智か?:4

大乗仏教では小乗の悟りである「阿羅漢」を小さな境涯に執着する声聞縁覚の類と低劣なものとします。

同じ仏教の中でも、小乗教は劣応身(れっとうじん)という仏を教主として戒律(かいりつ)を説き、一切の煩悩(ぼんのう)を断じ尽くした阿羅漢(あらかん)という聖者になることを目的としています。(中略)法華経に至ると、今までの三乗を目的とする教えは方便(ほうべん)であり仮りのものなので、すべてこれを捨てよ、信じてはならないと釈尊自らが戒められ、一仏乗(いちぶつじょう)すなわちすべての人が仏の境界(きょうがい/境涯)に至ることこそ真実の目的であると教示されました。(正しい宗教と信仰【日蓮正宗】)

 小乗教は劣応身(れっとうじん)、これですね。大乗の仏に比較して劣るそうです。法華経の方便品にこのようにあります

もし自分の弟子が、自分で『私は阿羅漢である』、あるいは『辟支仏である』
と言う者がいたならば、その者は『仏はただ行いを通して仏道を勉強する人々のみを教化する』と言う事実を聞いていないし知ってもいない。
この様な人々は釈尊の弟子ではないし、阿羅漢でもないし、辟支仏でもない。(方便品)

日蓮の説では、阿羅漢果は一段どころかかなり低い教えにされていますが、同じ時代の道元は全く違う解釈をされています。

道元は声聞乗の立場で仏道を勉強したとしても、戒律を守り、その戒律を破る事がなくなった人は、仏道修行において完成の状態に達した人だから仏と同じと説かれてます。
これは日蓮法然が説いた末法では戒律も役に立たないとする解釈と全く違う解釈で、道元は末法到来を認めず、例え末法だとしても戒律の保持にかなり重点を置いていた事がうかがえます。これは栄西も同じ主張です。

さて・・どちらが本当でしょうか?