正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

続・逆伏しましょう。

だいたい今までの基礎的部分で大石寺ってアナクロの時代を今も信じているというのがわかると思いますが、今回から典型的な書籍なり法話を挙げて、指摘してみましょう。

まずは六十七世の法主であり、いまは隠居という身分の阿部日顕さんですね。この人の本は酷いですが、「三大秘法義」というのは、頭からおかしいです。

■序言 
先に富士学林大学科講義用としてまとめておいた『三大秘法義』テキストを、今般、増補・改訂・加入 し、出版するに当たり、その意義の根幹について序文として、初めに述べておきます。

三大秘法は、仏教全般の行学の要点である戒・定・慧を、さらに要括した教義でありますが、その成立は、単にある意義を込めた教義というだけではありません。実に古今未曽有の、どのような宗教宗派の成立にも見られない重大な仏道の発露と実践が存するのであります。(阿部日顕・三大秘法義)

 この三大秘法というのは本門の本尊・題目・戒壇という定義で、ここに戒・定・慧の三学も籠められるというお馬鹿な設定です。

戒・定・慧というのは初期仏教から用いられてきた仏教の必要要素です。戒がなければ心所に煩悩が充満するので、まずその確認から

■戒学(かいがく):戒律のことで、「戒禁」(かいごん)ともいい、身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止め善を修すること。律蔵に相当。
■定学(じょうがく):禅定を修めることで、心の散乱を防ぎ安静にするための方法を修すること。経蔵に相当。
■慧学(えがく):智慧を修めることで、煩悩の惑を破って、すべての事柄の真実の姿を見極めること。論蔵に相当。
この三学は、三蔵に相当しており、上記のとおりである。
三学それぞれの関係は、戒をまもり生活を正すことによって定を助け<禅定にある心によって智慧を発し智慧は真実を正しく観察(かんざつ)することができ、それによって真理をさとり、仏道が完成される。
このように、戒定慧の三学は不即不離であり、この三学の学修をとおして仏教は体現される。(ウィキペディアから転載)

これを見ていただくと、納得の一言で仏道を修行する者がかならず修めるべき基本的な修行項目であることは理解できます。
ところが、大石寺は違うんですね。