正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

続・逆伏しましょう:2

それでは大石寺では戒・定・慧はどのようにされているかといいますと、無戒なんです。 最澄が著した「末法燈明記」を根拠に末法無戒を是として、釈迦仏法の細かい戒律は末法には必要が無いと捨てています。日蓮の残した手紙から拾いますと

■四信五品抄に「問うて云く末代初心の行者何物をか制止するや、
答えて曰く檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを
一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり」

これは法華経に説かれている修行方法は末法においては戒等の五度(五波羅蜜)は無用であり、智慧の部分のみを残すということです。

同じく四信五品抄に
「五品の初(しょ)・二・三品には、仏正(まさ)しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分(いちぶん)に限る。慧又堪(た)へざれば信を以て慧に代ふ」

 要するに末法の衆生は仏教を習得するには機根が低いので戒とか禅定という心を定めることは無理だと、放棄してます。

 だから智慧の修行のみをしなければなりません。しかし末法では、この智慧の修行にも堪えられないので、信をもってその智慧に代えるというのですね。

これがまぁ、釈迦の残したサンガの規律に合わせてみるとトンでもない事がわかります。