正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

続・逆伏しましょう:3

初期仏教では戒(戒・律を守る)・定(瞑想によりサマーディ、禅定を得て心を清浄にする)・慧(瞑想により洞察智を得る)という三学主体です。 なぜ戒を重要視するかといえば、心はすぐに散乱するので、歯止めをつけるためです。散乱防止です。心を常に清らかな状態にするためです。 それには行いを正し発言を正します、八正道にあたる行為を身につけることで、煩悩や無知に囚われた行動発言を抑止します。

戒と律は別々のもので、個人的な防止悪は戒、律は集団体制での決まり事です。

次に定と慧ですが、大石寺では定は捨てて慧のみを残しています。 天台大師は止観という修行法を説きましたが、これが定と慧に当たります。 常に一定しない散乱しがちな心を一定にするために活動を止めます(止観の止)そして落ち着いた心を観察してあるべき心の状態を見ます。

止はサマタ、観はヴィパッサナーとして2つで一つの修行方法を為しています。 その実践は、まずブッダ(仏陀=お釈迦さま)、ダンマ(法=正しい真理の教え)、サンガ(比丘集団)の三宝に帰依することから始まります。

比丘たちよ、この道は有情を清め、心配・悲泣をのり越え、苦しみ・憂いを滅し、聖なる道を得、涅槃を見るための一道である。これは四つの念住である。

四つとは何か。
ここに比丘たちよ。比丘が努力し、正しく知り、念をもって(身に関する)世間の貪り・憂いを調伏し、身において身を随観し続ける。

努力し、正しく知り、念をもって(受に関する)世間の貪り・憂いを調伏し、受において受を随観し続ける。努力し、正しく知り、念をもって(心に関する)世間の貪り・憂いを調伏し、心において心を随観し続ける。

努力し、正しく知り、念をもって(法に関する)世間の貪り・憂いを調伏し、法において法を随観し続けることである。」 大念住経(南方仏教基本聖典より)

戒定慧の戒と定を外して慧だけ残すという手法がどれだけおかしいことか、お分かりいただけると思います。 

 ちなみに五戒(不殺生 (せっしょう) ・不偸盗 (ちゅうとう) ・不邪淫・不妄語 (もうご) ・不飲酒 (おんじゅ) の五つ)は大乗でも守るべき戒としますが、日本の僧侶といえどもこれすら殆ど守られた事は少ないです。