正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

続・逆伏しましょう:4

基本的な戒律に対する見解は南条兵衛七郎殿御書という書物で伺うことが出来ます。

持戒を三世に分ち、正法時代には 「持戒の人多く得道の人これあり」(昭和定本三二二) とし、次に像法時代には 「破戒者 は多く得道すくなし」(同上) と、既に像法には持戒者の少ないことを挙げ、 更に末法に於ては 「持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ國に充滴せん」(同上)として末法に於ける持戒者の全くないことを明らかにしている。(日蓮聖人に於ける持戒の考察・上田本昌氏)

これが鎌倉時代の共通の認識かといえばそうではなく、末法ひとつとっても禅宗系では栄西道元もその考えを認めてません。

「今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末(しょうぞうまつ)を立つ事、しばらく一途(いっと)の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の機なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり」(正法眼蔵随聞記)

これによれば、釈迦時代の弟子衆にもすぐれた人ばかりではなかったことを挙げて、末法は方便説に過ぎないとして、末法を否定しています。同時期の栄西はどうでしょう。

『興禅護国論(栄西著)』の趣旨は以下の通り。
1.仏教の源は,戒にある。
2.禅は,戒を基本とする。
3.戒は,大小乗戒共に守るべきである。戒に大小の別はなく,受者の心がけが大切なのである。
4.戒は,実践を中心とすべきである。
5.戒は,仏教の総体なので,諸宗の根本である。
6.禅を成すのは,坐禅による。坐禅に専心すれば,誰でも必ず道を得ることができる。

と、これもまた仏教は戒が基本で、戒が基本の禅から末法であろうとも戒を実践の中心と主張してます。

末法だから戒は要らないという主張は有る特定の教義であり、同時代全般ではなかったことが伺えます。