正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

続・逆伏しましょう:5

前回までは、日蓮の教説には戒は不要のものとして著されていました、確認しますと「五品の初(しょ)・二・三品には、仏正(まさ)しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分(いちぶん)に限る。慧又堪(た)へざれば信を以て慧に代ふ」(四信五品抄)ですね。

しかし戒は不要のはずが、別の書物では妙戒ということを残しています。

「比の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(せ)り。此の五字の内に豈(あに)万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。

是を金剛(こんごう)宝(ほう)器(き)戒(かい)とや申しけんなんど立つべし」(教行証御書)

金剛宝器戒(こんごうほうきかい)という戒体を下すんですね。しかし前の教説と矛盾してきてます。
三世諸仏の万行万善万戒の功徳を収めた法華経本門寿量品の肝心と言われても、片方では受持即持戒とか、戒は末法では「戒定の二法を制止して」と機根の上で劣機だから不要宣言ですからね。

こういう矛盾は日蓮の場合アチラコチラにあり、戒についても不要であったり、万行万善万戒の功徳と言ったり、一定していません。

過去・現在・当来世の三世の諸仏は、この妙法蓮華経の戒を持って、法身・報身・応身をともに具えた、無始無終の仏になられたのです。(日蓮正宗末寺・法話)

 今度は三世のホトケさんたちは先程の金剛宝器戒で仏になったと、トンデモな話になります。
で、結局「戒・定・慧」は慧のみで他はいらないと言いながら、有ることが前提のようです。

 こういう教義のダッチロールに気がつく人はいないようで、ただありがたい、と盲信のようです。