正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

カルトの総本山:4

だいたいカルト系は、自宗の歴史を粉飾したりして信者の目をくらますのですが、好例を幾つか挙げましょう。

日蓮正宗の美化された歴史の一つに江戸期の大檀越様の話があります。一番有名なのは天英院さんですね。

天英院は、前の関白・太政大臣近衛基煕(このえもとひろ)公を父とし、第109代天皇・後水尾帝の、第一皇女・常子内親王を母として寛文6年(1666年)3月26日誕生しました。
天英院は、両親の血筋をみるだけでも日本第一の貴顕の人であり、しかも長じては日本の最高権力者徳川幕府第6代将軍家宣公の正夫人となったのですから、前世以来の福徳は想像を絶するものがあります。しかも日蓮大聖人の仏法に篤く帰依し、総本山第25世日宥上人の養母になっているのですから、天英院ほど果報に満ちた方はいないように思われます。(天英院について・日蓮正宗サイト記事)

 この方の猶子である日宥は大石寺の25代になっています。つまり上の記事でいけば親子ともども大石寺信仰の系譜に連なっていることですね。

そして慶賀なことに天英院は家宣に言上し、独礼席(どくれいせき)の免許を交付させています。独礼席とは、正月などに将軍に単独謁見(えっけん)して新年の挨拶を述べたりすることができる特別待遇席です。

大石寺としてはこの上ない喜びですね、さらに翌正徳2年の夏、天英院は三門造営の構想を聞き幕府より黄金2100粒、富士山の大木70本を大石寺に寄進しています。

でもおかしいですね、大石寺は謗法のものからの寄進は受けないはずでした。そこを大石寺ではこう弁明しています。

形式は幕府からであっても、その発意は天英院の御供養であることは間違いありません。(中略)幕府が自分の意志で寺社に莫大な寄進をすることなどほとんどなかったからです。天英院は時の御法主第25世日宥上人の養母なのですから、我が子のためにあらゆる援助を惜しみなく与えられたのは信心の上から当然のことだったのです。(天英院について・日蓮正宗サイト記事)

 こう云う言い訳ですが、さて、もう少し歴史を見るとその天英院さんは大石寺の信仰に染まってたんでしょうか?