正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

カルトの総本山:8

西山本門寺末の江戸上行寺の住職から大石寺末・常泉寺へ転宗した日顕(元日衆)に天英院は常泉寺の大檀那として同寺の繁栄を支え惜しむことなく寄進をします。

幕府は家宣の養女のために常泉寺に三十石の朱印を与え寺地三千四百坪を下した。

常泉寺は一末寺としては破格の「御朱印」を幕府から下され、この破格の待遇には、もちろん常泉寺七代住職となった日顕(元西山本門寺僧)と天英院とのかかわりがります。

更に記録では天英院の亡くなった子供の墓改葬を西山本門寺末・上行寺から常泉寺へと行っています。

一、天英院様御持仏之有り候御本尊仏(大聖人木像)且亦応円満院殿無上法院(級宮常子内親王)予楽院殿(近衛基熈)妙教殿(妙敬日信豊姫)本乗院殿(斎宮御方)如是観院殿御位牌常泉寺え遣はさるべき由、天英院様思召に付き遣はされ候、之に依て御金百両下され候、公儀より一切御構は之無く候間其以後之を存ずべく候、以上。(寛保元年)三月

一、天英院様御所持遊ばされ候、日蓮真筆の曼陀羅(仙師授与)一幅此度遣はされ候間、随分大切に仕り寺の什物に仕り毎年二月十五日十六日廿八日、七月十六日十七日、十月十三日十四日十五日、右の通掛け置き参詣の者ども拝ませ申すべく候。(寛保元年)四月」(富士宗学要集・第八巻より引用)

 上の記録は天英院殿の子の豊姫君(天和2年10月21日、2歳で逝去)、男子(元禄12年9月18日誕生、即日死去)、養女政姫君(近衛家熙の娘で、天英院殿の姪に当たる。宝永元年7月1日、6歳で逝去)は、共に小梅常泉寺に葬られたという記録で、その際に百両を供養として添えられてます。

また天英院が亡くなられた時に護持されていた日蓮真筆本尊(弟子の日仙に下されたもの)が常泉寺に納められ、以後重要法要時には参詣信者に拝観されているようです。