正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

カルトの総本山:9

日蓮正宗では天英院のことを理想的な大檀越として持ち上げて、関係資料から都合の悪い資料は隠蔽、乃至は無視しています。
特に護持僧の立場だった日顕がいた常泉寺の記録にはそれらしい記録は出ていないのですが、以下をご覧ください。

●坐像釈迦仏一躯(後水尾院法華経題目書写し給ひし紙をもて、御手づから作らせ給ふ。糢糊の像にて、第一皇女級宮御方に御形見として進ぜられしを、天英院殿に譲らせられ後当寺に納めたまひしなり)(新編武蔵風土記稿・『本所区史』昭和六年六月二十五日発行)

 大石寺系は造仏を認めない宗派で文字曼荼羅が本尊として宗祖日蓮の正意とする宗派です。ここには釈迦仏の坐像が納められたとあります。

●伽羅仏立像正観音一躯 立像毘沙門一躯(文昭院殿御守本尊なり)四天王四躯(元文の頃天英院殿御帰依にて浅草長遠寺より当寺に移されし像なり。
以上六躯は昔別に堂ありてそれぞれに安置せしが、天英院殿三十三回御忌に当り御仏殿等御修造遊ばされし時、何れも御取払となりし故其後は宝蔵に安置すと云)(同記録書)

 徳川家宣の守り本尊の立像観音像一体、立像毘沙門像一体、四天王像四体という造像が常泉寺塔中域(法種坊・本行坊(現本行寺)・本住坊・壽法坊・啓遠坊)の何処かの堂に安置されていて、三十三回忌に常泉寺宝蔵に納め直されたそうです。

さらに諸尊勧請として天部の神などは別拝として堂に立てないことになっていますが、身延系の堂塔に神や鬼神を祀ることを激しく攻撃します。

鬼子母神堂(天英院殿御寄付の像にして浅草妙音寺より移されしものなり)」(同記録書)

かつて常泉寺内にあった鬼子母神堂」は、天英院が浅草妙音寺からわざわざ鬼子母神像を常泉寺に移して祀ったことを縁起とすることが確認できます。
こういう事跡を隠して理想の大檀越と大石寺は信者に吹聴するのですが、地元の関係書を読めばそういう事実が当たらないことが明白です。