正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

天英院・余話

本筋から離れては複雑になりますので端折りましたが、捨てがたい、いくつかのエピソードを挙げてみたいと思います。

一、独礼席御免許の事
富士大石寺
向後独礼坐仰せ付けられ候間明六日より独礼坐にて御礼申し上ぐべく候
寅正月五日
毛利讃岐守役人   駿州大石寺

これは前にも紹介しました、天英院の将軍に働きかけ幕府内での努力で実現した一つですが、この古文書を挙げて日蓮正宗系のサイトでは以下のように宣伝します。

独礼席を許可される、ということは、将軍と単独で面会をすることのできるようになった、ということです。
つまり、日蓮正宗大石寺の御法主上人は、徳川幕府から、特別の地位が認められた、ということです。(日蓮正宗サイトから引用)

 さてこの自慢たらしい独礼席ですが、あたかも一対一で面会できるようなことを書いていますが、事実は違います。

本来は江戸時代の寺格制度の中で、「独礼(どくれい)」格といいかたで、通常これを許された寺院は独礼寺とか、独礼席を許されるという使い方をするようです。

これは独礼席免許の発行日付も正月となっている通り、1月1日から3日まで、諸大名や旗本などが江戸城で将軍に年始のご挨拶と言上をするのですが、官位の四位以上は白書院で独礼、五位以下は大広間で立礼で拝謁することになっています。

形式的には宮中の天皇との謁見でも同じで、三位以上は単独謁見ですが、五位の公家は三位の方と随伴でなければ会うことは出来ません。

さて官位・四位以上の大名というと、だいたい石高が十万石以上ですから、かなり家格が高いといえます。

で、この独礼席の寺社並びに神社の神主ですが、各宗派の本山格寺院、将軍家の祈願所、その他徳川家とゆかりの深い寺院(浄土系)など、寺社としては天皇家所縁の伊勢神宮石清水八幡宮出雲大社をはじめとする有力神社などに独礼席を免許さられていました。

ということで、寺社の年賀の挨拶も一対一の面談ではなく、ズラッと並んだ格の高い寺社の順に同格の寺社の住職や神主と一緒に膳を設えた座で将軍は上段ノ間に着座し、下段に控えた拝謁者から一人ひとり挨拶を受けるだけのことです。

大石寺が独礼席を許され、宝永7年1月6日に将軍に江戸城でご挨拶申し上げたというのは、他の同格の寺社の住職や神主と一緒に、独礼の形式でもって年始の挨拶をしたというだけのことです。

日蓮系では身延山末の触頭・瑞輪寺や善立寺、浅草にあった幸龍寺、日蓮出家の寺・清澄寺などが独礼を許されていました。こういう居並ぶ大石寺が邪宗と呼ぶ宗派の寺々と正月挨拶を折伏もせずに仲良く行っていたということだけのことです。