正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

天英院・余話・2

お布施の金をどう運用しようとそれは受け取った側の話ですが、若し金貸しなどに回して利息を取っているとなれば、これは由々しき事態です。
そういう事例が天英院の三門寄進からの供養金であったようですね。天英院から貰った金で山門(三門)を再建し、余った金を資金にして地域の人に金貸業をして、その利息を五重の塔建設の費用の一部にしたという文書「口上覚」が残ってます。 

ここには、天保九年六月に大石寺が、豆州韮山の代官・江川太郎左衛門に哀願した記録関連が書いてあり三門寄進から五重塔再建に至る興味深い記述があります。

そこには徳川六代将軍家宣の正室・天英院から貰った三百両で山門を再建し、慶賀を祝った後、残金の運用を記しています。
「其ノ餘金貸附ノ利銀相積り、延享年中、五重之宝塔再建仕候」余剰金で利銀(利子)積り、五重塔を再建計画しているというのですね。

「右残金ヲ以テ御祠堂田ト為シ相求メ置キ候。回徳金ヲ貸附ケ置キ候・・」ここにもご供養残金(回徳金)を貸付していると、書いてます。
ところが、その元手で買い求めた田畑が富士からの洪水でメチャメチャになったと上訴してます。

「近年、打チ続ク凶作ノ上、天保五年四月八日、富士山ヨリ大水押シ下シ、御祠堂田、多分二流失仕リ、修覆モ行キ届カズ、誠二以テ難渋仕リ候」
そこで、貸付した利子金の回収を計り、代官所に訴えて協力を仰いでいます。

「御威光ヲ以テ是迄利銀不納モ御座無ク候」借金の返済を迫る「触れ」を代官所が出したので、その「御威光」によって利息も期限通り大石寺に入金されていたことに対する謝辞があります。
そして「当時ノ世柄ニテハ、萬一滞リ之儀、御座候節ハ、愁訴奉ルベキ儀モ、御座有ルベキ候」と滞り無く利子回収が出来ましたと、続いています。

普通の庄屋であれば問題はないんでしょうが、大石寺は衆生済度の寺です。かつて領民に金を貸したり利益を得ていた僧侶に開祖はこういうことを言ってます。

「今の律僧の振舞を見るに布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。」(聖愚問答抄)

極楽寺良観こと忍性は「飯嶋の津」にて六浦の「関米」をとり、土木事業のみならず、財を蓄え、金貸しなどをしていると批判しています。
一体どこが唯受一人・宗祖の意を継いだ宗門なんでしょうね。