正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

敬台院と法主・2

大石寺の古い記録や文書を集めた要集というのがありますが、前回の伊丹播磨守への書状から伺えることは、孫の菩提寺としての箔付けと大名寺(氏寺ともいう)としての経営感です。

通常、御朱印寺はその寺の寺領を幕府が認可するカタチでこれを国主の布施ととるかは微妙ですが、大名寺となれば、これは大名の領地の一部で管轄権も僧侶ではなく藩主が執行することになります。

ことに来年(寛永十五年)は勝五郎のはは(母)の七年き(七回忌)に御ざ候、ござそうろうまゝ、ぜひ々々たのみ申し候。

此御しゅ(朱)印の事、大石寺に下され候御しゅゐん(朱印)にては候はまじ、勝五郎そせう(訴訟)申しあげ候て勝五郎ちゃうだい申し候御しゅゐんの事にて候まゝ しょぢ(諸寺)には構ひかまい申さずやうに御心得おこころえ候てくだされべく候 めでたかしく
  とめ□□□九日                 
  いたみはりま (伊丹播磨)様      経台院(敬台院のこと)

 ややひらがな混じりなので分かりにくいですが、通常の御朱印認可と違って個人(孫の勝五郎)に当ててくれと敬台院は頼んでいるのが、面白いですね。

この結果は見事セレブの一念で勝五郎に降りたようで、大石寺の管轄権は実質・敬台院で孫の勝五郎が受領者になったようです。
平たく言えば、代々の大石寺住職からの経営権の剥奪になりますね。
こういう事柄は勝五郎宛の書面が大石寺に残されてないので、要集では触れられてないですが、敬台院が大石寺を経営権を手中に収めたという事実です。
それではなぜ、そうしたか?を読み解いていきます。