正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

敬台院と法主・5

敬台院が大石寺菩提寺として寺社奉行に申請し、許可も得られた背景は大石寺が寺として機能不全に陥って、過去関係のあった京都の寺から僧侶をスポンサーを求めなければ立ち行かない状態だったからです。

1600年1月・蜂須賀至鎮に敬台院、嫁ぐ(慶長五年)
1600年日精誕生
1607年日昌、日就へ法付属(富士年表より)

慶長五年に敬台院は蜂須賀家に嫁いでいます。同年にこの後に恩義を受けながら葛藤と隙間を生じる日精(第十七世大石寺法主)が誕生してます。
この日精にも敬台院は並々ならぬ支援をいたしますが、それのあとで触れます。

慶長十二年に大石寺の住職となった日昌が最初に大石寺に足を入れた時、要法寺僧・日昌へは地元衆壇の反発がかなり強く出て「殊に僧分輸入は在来寺衆の悦ぶ所とならず 種々の紛情をも生じ」となったようです。

その後も、僧の流入と要法寺流儀への反発は続き、日昌は同じ要法寺僧・日院と交代で入れ替わりながら大石寺住職を務めていたようです。
大石寺五十八代の堀日亨は「堪忍成り難く候条々の事」という日昌の一文を要集8巻48頁に紹介しています。
カネも出さずに頑なに信仰の立義だけで寺経営が立ち行かなくなっている大石寺なのに、当時の檀徒の田舎信仰の心情は図りかねます。
敬台院は大石寺菩提寺とするにはこういう過去からの現住信徒とも折り合いを付けねばなりません。