正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

敬台院と法主・6

大石寺の住職についた日昌もほどなく次の代の人に伝法しますが、この後続いた要法寺系の僧侶をざっと見ますと。

第十五世の日昌(1596年〜)に始まり、第十六世日就(登座1607年)、第十七世日精(登座1632年)、第十八世日盈(登座1633年)、第十九世日舜(登座1645年)、第二十世日典(登座1652年)、第二十一世日忍(登座1673年)、第二十二世日俊(登座1680年)、第二十三世日啓(登座1682年)(富士年表から)

特筆すべきは日精が大石寺住職に継いたものの翌年には次の日舜に譲っていることです。しかしこの後日精は何度か住職に就いてますので、当時は適当な人がなかなか育たなかった事が伺えます。
この日昌も先代の日主と同じく引退後は大石寺には寄住せずに別の場所に隠居してます。

慶長12年(1607年)3月、法を日就に内付す。
慶長18年(1613年)11月28日、陸奥国磐城三春に法華寺を創す。
元和2年(1616年)4月、駿河国根方境村に妙光寺を創す。
元和3年(1617年)8月5日、14世日主、下野小金井より日昌に状を送る。
元和6年(1620年)3月16日、駿河国根方境村妙光寺に本尊を授与す。(ウィキ日昌・項目より)

 やはり地元の檀家連中とは在任中も要法寺出身僧ということで反りが合わず、地元に居着かなかったんでしょう。
これは実は日精も同じで、着任して直ぐに江戸常在寺に常駐し、大石寺は留守居に任せていたようです。