正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

敬台院と法主・8

敬台院が実母の供養のために建てた法詔寺ですが、この本堂に仏像が安置されてたと後々に論議なっています。
しかし、天英院や天璋院の信仰の状態をつぶさに見てもあっても不思議ではなく、むしろ無い方が不自然です。
もともと要法寺の信仰を持っていた敬台院が宗旨が変わった途端にコロッ化風も改められるわけもなく、それは元西山本門寺系の信仰を持っていた天英院も、大石寺風の化風に結局染まることはなかったわけです。
さらに大石寺の礼拝形式と全く違う仏像を根本とする要法寺から九人もの僧侶を住職に迎え、形式の面で地元の檀家と軋轢があったことは既に記しました。

敬台院はそうした檀家の口を封じるために以下の文書を残しています。

当年迄五百両の金子の所、四月より借(貸)し□置き申し候、 来年三月の返弁の所にて候間、其時本利共に寺壇那中の才覚を以て借(貸)し候て、 此の書付のとをり 年々永代代々の上人達へ相渡されくり(庫裡)の続く様に才覚専一せんいつに候、 此の度大石寺の後住の相定(さだめ)の筋目(すじめ)の通り、書付給ひ候。

其の祝儀(しゅうぎ)計りばかりに惣中へ樽代として其元に御入り候寺檀那中(てらだんなちゅう)に銀子弐枚に参(まい)らせ候、 態(わざ)と祝儀計りに候、 委くわしくは両三人申さるべく候、 恐々謹言。
(寛永十五年)六月廿四日                   日詔 (黒丸印あり)     
大石寺  寺家檀那中

大石寺重物に渡す金子の事。 

寺が疲弊していても金も出さずに口を出す檀家連中の顔を大枚の金で引っ叩いたかのような文面ですね。
それでも大石寺の地元檀家は返書を渋っていたというから呆れる体質です。

一 金子五百両、  是これは大石寺代々の上人達の賄方まかないかた本金に渡し申候、此の金子寺家じけ檀那中の才覚として借(貸)し置き 利足分を毎年取り立て当主の上人え指上げられ くりの続き候様に致さるべきなり。

一 金子弐百四拾壱両、 是は大石寺かやふき替えのために檀那中に預け借(貸)米に成り申し候、だんな中の預かり手形の儀は此の度与五右衛門、一郎衛門持参いたし手前へ請取り置き候者なり。
右の通り金子米きんすまいの所、檀那中とどこをりなく取立てらるべき者なり。 後日の為に件くだんの如し。
寛永十五年つちのへとら六月二十四日        境台院、日詔(黒丸印あり)
  大石寺、  寺家檀那中。

 まさに敬台院の大石寺檀家対策は金、金、金で全てを牛耳ろうという思惑もさることながら、そういう次元でしか対処できないほど民度も信仰も程度が低かったのでしょう。