正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏法のためなら殺人容認

さるブログと掲示板で、面白いテーマの論争が行われてました、残念ながら片方が撤退して終結してしまいました。

日蓮は日本国の棟梁(とうりょう)なり。予を失ふは日本国の柱橦(はしら)を倒すなり。只今に自界反逆難(じかいほんぎゃくなん)とてどしうち(同士打)して、他国侵逼難(たこくしんぴつなん)とて此の国の人々他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせらるべし。

建長寺寿福寺極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばや(焼)きはらいて、彼等が頚をゆひ(由比)のはま(浜)にて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。」(撰時抄・真蹟)

 という物騒な手紙が残されてますが、謗法者の首を跳ねろ、そうでなければ日本は滅ぶというから危険な思想ですね。

こういう思想は鎌倉時代の日蓮からではなく、中国から渡ってきた考え方ですね。

昔ハ時平カニシテ法弘マル。戒ヲ持スベシ杖ヲ持スルコト勿レ。

今ハ時嶮シテ法翳ル。杖ヲ持スベシ戒ヲ持スルコト勿レ。

今昔倶ニ嶮クバ倶ニ杖ヲ持スベシ。今昔倶ニ平カナラバ倶ニ戒ヲ持スベシ。取捨宜シキヲ得テ一向ニスベカラズ。(章安大師)

 章安大師(天台大師の弟子・筆記を務めた)は生きてた頃に既に戒など持っていても法は広まらない、昔は人間も心平かであったから戒も必要だったが、人情も険しくなった時代には、杖(武器)を持つべしと、説いているんですね。天台大師在世の頃に既にそういう状態だったようです。

日本でも武器を持つ僧侶の僧兵の理論的根拠は涅槃経ですが

15世紀に作成された『慈恵大僧正伝』を引用して、「文殊菩薩の円証の本誓を標識するものは、一に利剣、二に経巻である。

利剣は利智の用をあらわし、経巻は智恵の徳をあらわす。われら僧徒の学ぶ経文は中道の徳、これに利剣の用を加える。

かくてこそ活文殊というべし」という見解が慈恵大師の言葉であるとされる伝説である

(日置英剛・僧兵の歴史)

こんなDQNな思想が定着してた延長線上に鎌倉期の日蓮思想があったとしても、おかしくはありません。