正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏法のためなら殺人容認:4

合点行かない涅槃経のサンプル色々挙げて、こういう論理の破綻っぷりを見てみます。

「私の滅後に、威儀ととのって正法を護(まも)ろうとする持戒の
比丘(男性出家者)があったならば、
もしも彼が法を破る者を見つけたとき、どこにいても彼はそれを追い出し、
訶責(かしゃく)し、懲治(ちょうじ)することができるであろう。
この人はこの行為によってはかり知れぬ福を得ることになるのである」

 あぶないですね、正法に順じた坊さんが法に違反する奴がいたらなら力ずく(暴力?)で懲らしめて所払いしてもいい、しかもその行為は大きな功徳と言うのですから、正法立てにすれば何でも正当な理由になるようです。

「国王、大臣、長者[金持]、優婆塞(在家信者)らが、
護法のために刀杖(武器)を持っても、私はそれを持戒だという。
刀杖を持ちながら命を断つごとき殺害を行なわぬならば、
そのようにあり得る者は、これを最高の持戒と言ってよいのである」

武器持つことが持戒だそうです、頭狂ってますね。この経典書いた人は。命奪わねば武器持って威嚇してもいいとなりますね。つまり殺さない程度にいたぶれるということです。
持経者の殺人について、こういう思想まで発展していきます。 

「自我があれば、実際に殺害できないだろう。自我がなくても、殺害はできないだろう。なぜか? 自我があれば、それは永遠に不滅だろう。それが永遠に続くならば、それは殺すことはできない。この殺しにどんな罪があるのか?
自我がなければ、全ての法(法自我)は一時的だろう、そして、彼らが一時的ならば、彼らは絶えず崩壊している。
彼らが絶えず崩壊していれば、殺す人も殺される人もともに絶えず崩壊していることになる。
彼らが絶えず崩壊しているなら、罪を犯すことができるのか?」

 こんな思想が流布したら、なんでもオッケーになりますね。日蓮が下敷きにした思想は叡山の僧兵と変わらない考えを持っていたことが伺えます。

建長寺寿福寺極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばや(焼)きはらいて、彼等が頚をゆひ(由比)のはま(浜)にて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。」(撰時抄・真蹟)

これ、多分本気だったと思いますね。