正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏法のためなら殺人容認・5

涅槃経は殺人について以外に暴力的なことも書かれています。例えば、
仏が説法しているときに、それを盗み聞きしている対抗勢力の少年がいたそうです。
その少年を発見した信者の力士は、対抗勢力が少年を派遣して様子を探っていると勘違いし、カッとして殺してしまったという。
さて、これは「正しい」行為かどうか。
仏はまだ年端もいかない少年を殺した力士の殺人をどう説くかといえば、あれはまぼろしの少年で実在はしていなかったと満場の人に説くのである。

であるのに、そのうえで自分は対抗勢力の我々を批判する人たちをも、我が子に接するような慈愛と愛情を示すと二律背反の教えを説く。
この後に自分の滅後(死んだあと)はこうした事例は別であると、仏は涅槃経で説いている。
頭おかしくなりますよ、こういう経典を思想の核として天台宗日蓮立正安国論で引用しているわけです。

客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶せんには、彼の経文の如く斬罪に行なふべきか。
若し然らば殺害相加て罪業何が為んや。 則ち大集経に云く「頭を剃り袈裟を著せば、持戒及び毀戒をも天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是れ我が子なり。若し彼を打する事有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり。」と。

料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ。 先証斯れ明かなり。
後昆最も恐あり。謗法を誡むるには似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何が意得んや。


主人の曰く、客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか。理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるには非ず。唯偏に謗法を悪むなり。夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。」(立正安国論

だいたい日蓮系や過激折伏団体も太文字部分を強調しますが、 施しを止むというのが涅槃経の末代の教えといいますが、もし末代のものが解釈に誤解を招くようなことであれば、そんな仏は衆生がこういう説示を理解する心すら把握できないボンクラだとなります。

末代に敢えてそういう誤解を生じせしめる説法を残していることは、普通は解釈に幅があるなら危惧して説かないはずだが、参考例としても残している以上は、誤解を生じる種を仏が用意したことになる。

かなり程度の低い仏であることは間違いない。