正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏法のためなら殺人容認・9

涅槃経の恐ろしい教唆は見る人をなにか変な自信に駆り立ててしまう魔力があるように思います。
先に上げた秋元御書ですが、もう一度見てみたいと思います。

「蟻子を殺す者・尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者・猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳」(日蓮遺文・秋元御書)

 これらを日蓮信者は「方便として」と枕ことばをつけてゴマカシますが、さてホトケが衆生を導くために敢えて方法論として使う仮の前提というこの方便、言い換えれば詭弁・ウソですね。この方便が法華経にも多く使われています。ちょっと長いですが、有名な「偈」です。

「わたしはもう年老いて、あまり先が長くない。良薬をここに置いておくから、自分たちで取って飲みなさい。必ず治るから心配することはないよ。」と言い残して、また他国に出かけてしまいました。

そして、そこから使いをやって「あなた方のお父さんが亡くなりました。」と告げさせました。
子供たちは、父が自分たちをおいて亡くなったことを聞いて深く嘆き悲しみました。そして「もし、お父さんがいらしたら、わたしたちをかわいそうに思って助けてくださるだろうに、今、わたしたちをおいて、遠い他国で亡くなってしまった。わたしたちは孤児になってしまい、もう頼れる人もいないのだ。」という悲しみを胸に抱いたとき、今まで逆さまになっていた心がハッと本心を取り戻したのです。

その時初めて、目の前の薬が色も香りも味もよいということに気付き、さっそく取って飲んでみたら、毒による病気はすっかり治ってしまいました。
子供たちが皆治ったという知らせを聞いた父は、すぐに家に帰ってきて、元気になった子供たちに会うことができたということです。」

この譬え話をなさった後で、お釈迦様は説法を聞いている人たちに問いかけられました。

「みなさんは、どう思いますか。世の人びとは、この医師が自分が死んだという知らせを子供たちにやったのは、人をだます悪い行為だと批難するでしょうか?」

一同の者は、「いいえ、お釈迦様、けっして悪い行為として批難には当たりません。」と答えました。(法華経如来寿量品)

 こういう喩え話の後に釈迦の寿命を説きます。

あなた方、智慧ある者たちよ。この真実について、何ら疑いを持ってはいけません。迷いや疑いの心などはキッパリと断ちきって、永久に起こらないようにして下さい。


仏の言葉は真実であって、何の偽りもありません。それは、本心を失った子供達を治すために、医者の父が適切な手段として、実際には生きているのに死んだことにしていたのを、誰も人をだましたとして批難したりしないのと同様なのです。


わたしは、世界全体の父であり、衆生の諸の苦しみや悩みを救う者であります。しかし、凡夫は心が逆さになっているので、それを救う適切な手段として、実際には生きているのに死んだことにしているわけなのです。

 釈迦の涅槃すら、法華経では方便なわけですね。ずっと生きていることになっています。釈迦はいまも久遠仏(宇宙仏)として宇宙の見えない所に生きていると思いたい人たちがいたんでしょう。
普通は死は人生の終わりなのですが、それを受け入れずにそうではないと超人仏陀は不滅なのだと訴えたのが法華経の一番大きなウソでしょう。

大乗思想の通念や概念をひっくり返す荒業は、ここにも見られます。殺人はダメだが、清浄に殺意を保たずに多くの罪障を積ませないために、あえてその人のために殺す。

これも普通の価値観をひっくり返した逆説肯定論理ですが、釈迦の滅ですら永遠へスリカエてしまう論理の背景には、一切は我もなく実体の無い無常の存在を悪悟りした人の詭弁であることだけは理解できると思う。