正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考

日本では堂々と妻帯した僧侶がお寺に鎮座ましましていますが、これは明治時代の「妻帯肉食勝手たるべし」という布告が出たことで明るみになっただけで、実際には日本に仏教が入ってきた時から既に尼と結婚している僧侶が居ました。
江戸時代でも初期は、僧侶の妻帯露見もしくは女犯(にょぼん)は遠島(島流し)と決まっていました。

女犯が発覚した僧は寺持ちの僧は遠島、その他の僧は晒された上で所属する寺に預けられた。 その多くが寺法にしたがって、破門・追放になった模様である。
例えば、江戸市中であれば、ふつう日本橋に3日間にわたって晒されることになっていた。 寛政8年8月16日には67人(69人とも)の女犯僧が、天保12年3月には48人の女犯僧が晒し場に並ばされたという。 また文政7年8月には、新宿へ女郎を買いに行ったことが発覚した僧侶6人が、日本橋に晒されたと記録されている。 さらには、他人の妻妾と姦通した女犯僧は、身分の上下にかかわらず、死罪のうえ獄門の刑に処された。(ウィキペディア・女犯)

こうした例は多かったのですが、実際は破戒僧があまりに多く、建前通りの運用は困難だったようです。

●律のない日本

もともと戒律というのは別個の言葉の合成で、戒と律です。律とは僧団(サンガ)の法律で戒を守れなかった出家僧を軽いものから重いものまで処分を決めた法律です。

インドの律では僧侶に対して異性との接触は興味を持って近づくことは無論、性的関係を持つことなどは現在でもタイやスリランカなどは一切認めていないそうです。
実際にアメリカがタイ人の麻薬ボスの引き渡しをタイ政府に求めたら、タイ政府はアメリカに逃亡中の女犯の破戒僧の引き渡しを求めたというのは有名な話です。

ところが日本では戒律の律は正しく伝わらず、戒のみ重要視されて、しかも僧侶は国家管理のために最澄なども朝廷に許された一年に二人の出家許可(僧尼令に決められた年分度者)をその都度提出しています。

結局、日本では税金逃れの私度僧を禁止するために僧尼令を発し、僧侶というのは国家公務員の霊界部門担当だったわけです。

僧団の規律は自主管理ではないので目をかすめるかのように五戒の不飲酒戒も酒は「般若湯(智慧の湧くお湯)」と言い換え、隠し女は「寺族」と言い換え五戒の一番項目の不殺生戒一つ守れない事は前述のとおりです。