正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・3

僧侶には先に見たような細かな戒律の規定が決まっており、僧団法律としての律には僧団を清浄に守るための処置も多くあったようです。しかし、在家には簡素に五戒もしくは八斎戒を設けただけでした。

在家信者には『五戒(不殺生・不邪淫・不偸盗・不妄語・不飲酒)』が与えられたが、本来は五戒のうち『不殺生・不邪淫・不偸盗・不妄語』に違反した出家僧は、『波羅夷罪(はらいざい)』で教団を追放されるという処罰を受けていた。平安時代の中期以降、武士が台頭して『混乱の中世』へと時代が進んでいくが、『僧兵・破戒僧』が増大した中世寺社勢力は、禁欲的な戒律の護持よりも武装・権益による実利を重んじるようになっていく。(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

 日本では自分たちが守れないことを前提に次第に改悪していったという言い方が正しいようです。結局戒という名目だけを残して実態は印文のように守らせるか守らせないかは、仏・菩薩次第という自分たちの誓願は放棄して、責任を聖域の方に委ねたカタチです。

755年に東大寺戒壇院が建設されて、国家の正式な官僧となる者は、この戒壇院で『三師七証(10人の高僧)』の立ち合いを受けて受戒することになる。

10人も師匠・先輩の僧侶が立ち会って通過儀礼としての授戒をするのは手間がかかるということもあり、次第にこの戒壇院での授戒儀式は簡略化されていき、『戒壇授戒(他受授戒)』から『自誓授戒』へと切り替える僧侶も出始めた。戒壇授戒(他授受戒)というのは、寺院の戒壇院で師の僧侶(戒師)から戒律を儀礼的に与えられるということであり、自誓授戒というのは、自分で戒律を守ることを誓って仏・菩薩から直接的に戒律を授与されるということである。

一見すると、厳かな儀式を通して師匠・先輩の僧侶から戒壇院で戒律を授けられたほうがきちんとしているように思われるが、実際に戒律復興運動を指導して熱心に戒律を守ることの重要性を説いたのは、戒壇制度にこだわらず自誓授戒した僧侶たち(公務員の官僧ではない僧侶)であったことが面白い。(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

日蓮正宗でも一時、国立戒壇とか目標としていたらしいが、実質は松尾剛次氏の論じられた戒壇授戒(他授受戒)というのは、寺院の戒壇院で師の僧侶(戒師)から戒律を儀礼的に与えられるということ」を一見復興しているように思えるが、後半の戒律を守ることの重要性を説いたのは、(中略)自誓授戒した僧侶たち(公務員の官僧ではない僧侶)であったことが面白い。」が実際的だったように、今の僧侶では五戒も守られていないことが現実です。
在家の私度僧と言われた官僧ではない自称僧侶の方が戒律的であったことは奈良朝時代の私度僧行基の例を見ても実に庶民よりであり、財産も持たず妻帯もせずの出家の概念に合致している。