正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・4

末法では戒律は無効というのが日蓮系の教えでありますが、日蓮と鎌倉時代に激しく対峙した極楽寺良観は、師匠の西大寺叡尊とともに戒律復興の提唱者でした。

『四分律』では男性の比丘(びく)に250戒、女性の比丘尼(びくに)に348戒もの信仰・修行の生活に関わる細かな禁止事項が授戒される。女性の僧侶のほうが戒が多いのだが、これは、女性のほうが罪深く煩悩が多いという古代インドにおける女性差別の名残とされる。釈迦自身も比丘のほうが比丘尼よりも悟りに近いと考え、女性の出家・悟りの可能性に対しては消極的であったという伝承が残されている・・(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

 こういう上座部の仏教圏では未だに守られていて、しかも日本や中国が採用した末法思想などは現地では有りません。法滅という考えはありますが、釈迦の説いた教えに変わって新しい教えが出てくるという特殊な考えは大石寺だけのローカル仏法です。

仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。
正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。
像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多なし。

正法には破戒無戒を捨てゝ持戒の者を供養すべし。
像法には無戒を捨てゝ破戒の者を供養すべし。
末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。

但し法華経を謗ぜん者をば、正像末の三時に亘りて、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず。供養せば必ず国に三災七難起こり必ず無間大城に堕すべきなり。(教機時国抄・真蹟なし)

 こんなヨタ話は日蓮遺文だけで、末法という時節にも戒律は必要という僧侶はあの禅宗道元栄西も末法だから、余計に持戒しなくてはいけないと主張しています。

「今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末(しょうぞうまつ)を立つ事、しばらく一途(いっと)の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の機なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり」(正法眼蔵随聞記)

釈迦時代の弟子衆にもすぐれた人ばかりではなかったことを挙げて、末法は方便説に過ぎないとして、末法の特に無戒を否定して戒の必要性を説いてます。(こういう方便、信行増進のために仮の教えである使い方が本当の方便法です)