正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・5

さて日蓮等のいい加減な戒はどんな経過を辿ってああなったかといいますと、根源は最澄です。彼が南都の受戒を否定して大乗戒を始めたんですね。

比叡山延暦寺天台宗)の始祖・最澄(さいちょう,767-822)は、出家者の悟りのみを目的とする小乗仏教の『四分律の授戒』を否定して、衆生を苦から救済する大乗仏教の『梵網経の授戒』を行おうとする。(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

こういうことが許されるのか、という根拠ですが、結局日本では戒律の授戒・受戒方式を東大寺で独占してましたから、最澄にすればそこに行かなくては私度僧となってしまうわけです。
南都は国が定めた僧尼令に則って施行しているので、いわば利権です。そして最澄から送り込まれた二名の出家者を南都に取り込んだりとかで、最澄にすれば面白くないことが多かったのでしょう。

奈良に唐招提寺(とうしょうだいじ)を建立した中国の高僧・鑑真(がんじん)は、日本に授戒制度(戒壇制度)を初めて導入した人物である。東大寺の大仏を建設した聖武上皇光明皇太后も、鑑真から菩薩戒を授戒していることから、当時、正式な戒律の授与がどれだけ権威ある儀礼だったかが伝わってくる。755年に東大寺戒壇院が建設されて、国家の正式な官僧となる者は、この戒壇院で『三師七証(10人の高僧)』の立ち合いを受けて受戒することになる。

10人も師匠・先輩の僧侶が立ち会って通過儀礼としての授戒をするのは手間がかかるということもあり、次第にこの戒壇院での授戒儀式は簡略化されていき、『戒壇授戒(他受授戒)』から『自誓授戒』へと切り替える僧侶も出始めた。戒壇授戒(他授受戒)というのは、寺院の戒壇院で師の僧侶(戒師)から戒律を儀礼的に与えられるということであり、自誓授戒というのは、自分で戒律を守ることを誓って仏・菩薩から直接的に戒律を授与されるということである。(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

 南都のあれは小乗戒だからダメだ、最澄法華経は大乗だから大乗戒が必要だと、支援者であった天皇を口説いて設立したのが大乗戒壇です。

その根拠を大乗経典の「梵網経」に求めましたが、これを了とされた朝廷もさることながら、この梵網経は中国で儒教思想に傾倒して作られた偽経であったことは、当時の日本では誰も知り得ない事実です。
こうして粗製乱造とおおよそ戒の本質を尊ばない日本仏教の基礎が偽経に依って出来上がったのですから、基がニセモノですので何も無いんです。

僧侶の行体はここ以降ハチャメチャになることは自然の成り行きです。日蓮の金剛宝器戒というのも、最澄の大乗戒を迹門として蔑み、本門戒だというのですが、元がウソでそれに追加してもウソはウソです。
つまり鎌倉仏教で戒を否定した人達はもともと執行効果のない戒体を尊んでいたので、無いものを否定しただけだったんですね。