正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・9

大石寺の戒への見解をざっと俯瞰しましたが、元が梵網経(偽経)ですから土台はすでにユルユルです。であるのに、僧侶間では戒を受けた順番にまた差別があるようです。

早く戒壇授戒を受けた僧侶は、遅く戒壇授戒を受けた僧侶よりも、僧侶集団内での『席次(格)』が上になるという戒臈の年功序列によって、官僧(公務員の僧侶)は戒律を護持して悟りを目指そうとするモチベーションが弱まったのである。
形式的に戒壇授戒を早く受けたか遅く受けたかによって、『僧侶集団内での序列・身分』が決まるので、戒律を厳密に守ったり衆生救済に乗り出したりしなくても、出自・戒臈がある程度良ければそれ相応の地位に就くことができたからである。
こういった官僧の年功序列制度では、『戒臈(授戒の年次)』による出世昇進を気にする僧侶は増えても、積極的に持戒に努めたり衆生救済に乗り出したりする僧侶は出てきにくい。(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

これは8世紀頃の奈良時代に、鑑真によっての3つの国立戒壇(奈良の東大寺・九州の筑前観世音寺・関東の下野薬師寺)が建設されましたが、「国立戒壇の最も大きな弊害となってくるのは官僧の年功序列制度(序列決定原理)に当たる『戒臈(かいろう)』であった。」と松尾氏は指摘されてます。

もう既に官僧である弊害が出てきてたんですね。つまり坊さんの官僚化、派閥化ですね。こういう弊害も最澄の口舌の上では大乗戒の優秀さと南都の批判対象となったようですが、実際大乗戒壇が設立されると、やはり同じ事を踏襲するようになってしまったことは歴史の示すところです。

大乗教団の腐敗

中世の仏教界では、具体的に戒は守られていたのかどうかについては松尾氏の同署『第二章 破戒と男色の中世』が参考になります。
悪僧の出来、女犯、私財を肥やす僧侶、暴力の肯定等々、破戒活動のとどまる所を知らない現状をこの時期の後白河法皇はこう残しています。

「朕の意のままにならぬもの、賀茂川の水、双六の賽、山法師」

サンプルとして延暦寺では有りませんが、もっと戒律の厳しかった東大寺別当の宗性(そうしょう,1202-1278)の数々の破戒行為を見ることでどういう状態であったか探ることはできます。