正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・10

東大寺別当の宗性が、1258年に書き記した『禁断悪事勤修善根誓状抄(きんだんあくじごんしゅぜんこんせいじょうしょう』には、以下のような36歳の時の誓願(起請文)が残されています。

五箇条起請のこと

一、四十一歳以後は、つねに笠置寺に籠るべきこと。

二、現在までで、95人である。男を犯すこと100人以上は、淫欲を行うべきでないこと。

三、亀王丸以外に、愛童をつくらないこと。

四、自房中に上童を置くべきでないこと。

五、上童・中童のなかに、念者をつくらないこと。

右、以下の五ヵ条は、一生を限り、禁断すること以上の通りである。これすなわち、身心清浄・内外潔斎し、弥勒に会う業因を修め、兜率天(とそつてん)に往生を遂げるためである。今から後は、この禁断に背くべきでないこと、起請は以上の通りである。

嘉禎三年十一月二日

沙門宗性(花押) 生年三十六

(禁断悪事勤修善根誓状抄)

この「男を犯すこと100人以上」という箇所は凄いですね。当時は女犯は禁止されてましたので、稚児をその代わりとする風習があって元服前の子供ならという理屈があったようです。
釈迦の在世でもこういう発想する人がいて、勿論禁止されました。ところがそれを禁止されると今度は動物とかに対象が移るので、それもまた禁止。
こういうカタチで随犯規制といいますが、次第に戒律が増えて男性出家者は250もの戒を制定した結果となったようです。
以下、「亀王丸以外に、愛童をつくらない」というのも奇異ですが、この方には亀王丸という男女で言えば恋人に当たる特定の人がいたようです。その人以外は他所に目を移さない、というのも面白いですね。
この起請文、殆どが男色関係で占められていて、これを守ることが、自らが死する時「弥勒に会う業因を修め、兜率天(とそつてん)に往生を遂げるため」というから笑えます。
この人はこの時は一介の平僧だったようですが、こののち大出世して東大寺別当(住職)まで登ります。

そういう人ですら、こういう過去を持っていたということで、僧侶の男色(稚児愛)の流行は、後は押して知るべしですね。