正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・11

東大寺別当とまでなった宗性の一例ですが、釈迦の在世であれば教団追放の波羅夷罪であったことは確実ですが、日本は律の概念が伝わっておらずこういうところにも片手落ちの戒律観が見えます。
さてこの「少年愛(いまならBL)」ですが、僧侶の世界だけでなく地域では、裏文化でもあったようです。公家の世界では立身出世のための一つであり、今様を集めた「梁塵秘抄」の後白河法皇は女性も男性もという人であったようです。

『中世寺社世界の少年愛』は、実質的な破戒行為ではあっても僧侶間では暗黙の了解として看過され『寺社文化』として定着していた(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

 なぜ少年かということですが、元服前の中性的な存在に観音菩薩の慈悲を見るということで、僧侶の抑えきれない欲望を観音菩薩が示現して昇華するという、勝手な理屈です。
密教では女性も男性もわざわざ潅頂して、肉体を菩薩化することで煩悩即菩提・愛欲即涅槃とする秘技があるようです。

空海は大陸の多くの書籍や密教経典を輸入しましたが日本に男色文化を持ち込んだのは空海だと言われています。

僧侶の男色行為の相手になっていたのはどんな人たちだったのかという話になるが、これは師僧に仕える未成年の男児(稚児・童子)が多く、この男児の外見は『長い髪・鉄漿(おはぐろ)・化粧・小袖』という感じで女性に見えるように整えられていた。

男性と女性という性別を超越した『中性的な聖性』が男の童子(稚児)には宿るとされていたが、寺社・師僧に仕える童子(稚児)は『配膳・給仕・娯楽的な技芸(笛・筝・舞)・男色』など様々な役割をこなしており、上童・中童子・大童子というランク分けが為されていたという。

寺社に入門する稚児の年齢は10~15歳が平均であったとされる。(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

 これを見る限りでは中世というよりは女性のなりをさせているので、まさに愛玩物であることは確かですね。あの女犯・妻帯で有名な親鸞ですらこうした風習を通して一人前の僧侶になったようです。

「当時の延暦寺の官僧たちの間では、女犯や童子たちとの男色が一般的でした。九歳で入寺した親鸞も、男色の環境を免れなかったと思われます」(同書)

まぁさもありなん、と嘆息するのみですが鎌倉仏教の祖師達も師僧とこうした儀礼的時期もしくは伝法の名のもとに男色行為もその一つであったことは納得です。