正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・12

鎌倉祖師たちが末法という時期に戒律の復興や維持、もしくは破棄を唱えるのは、こうした乱れに対する反発もあったと想像できます。

『中世寺社世界の少年愛』は、実質的な破戒行為ではあっても僧侶間では暗黙の了解として看過され『寺社文化』として定着していた。女性でなければいいだろうという不邪淫戒の強引な解釈もどうかとは思うが、実際には、13世紀以降には師僧が女犯(にょぼん)の戒律に違反して子どもを設け、仏弟子となった僧侶の子が『真弟子(しんでし)』と呼ばれることもあったという。(松尾剛次

先の鎌倉仏教の祖師の一人親鸞の欲望の葛藤は有名ですが、松尾氏は東大寺別当の宗性の別の起請文を挙げています。

33歳の時の誓文に「飲酒の薫習は、久しく、全く断ずることたやすいことではない。病患を治さんがために良薬として用いんとす。すなわち、六時の間、三合を許すのである」
41歳の時の別の誓文には
「敬白す 一生涯ないし尽未来際断酒すること
 右、酒は、これ放逸の源であり、多くの罪の基である。しかるに、生年十二歳の夏より、四十一歳の冬に至るまで、愛して多飲し、酔うては狂乱した」

不淫戒ばかりでなく、不飲酒戒なども破っていることが確認できます。しかも33歳、41歳と酒から離れがたい心境が垣間見えます。
酒といえば禅家でも般若湯とか言い換えてますが、日蓮も遺文には酒を飲用していたことを残しています。

「この十余日は、すでに食もほとをど止まりて候上、雪はかさなり、寒はせめ候。身のひゆる事石の如し、胸のつめたき事氷の如し。然るにこの酒はたたかにさし沸して、霍香をはたと食い切て、一度のみて候へば、火を胸にたくが如し、湯に入るに似たり」(上野殿母尼御前御返事)

 これを薬効とかいう人も居たり、少しの量ならという人も居ますが、不飲酒戒を破っていることは当然で、酒についてはこの一例だけでなく他にもあります。

◆雪のごとく白く候白米一斗、古酒のごとく候油一筒、御布施一貫文、態と使者を以て盆料送り給び候。(四条金吾殿御書)

◆筒御器一具付三十並に盞付六十 送り給び候い畢んぬ、御器と申すは・うつはものと読み候(秋元御書)

 下の秋元御書の盞(さかずき)60個の供養というのはお酒を受ける盃のことで、この遺文は弘安三年ですので、送った方も存じで常態化してたようですね。五戒の一つも守れないことの言い訳が末法無戒であるなら、大乗仏教が成仏する人が一人も出ず、止むなく輪廻転生を菩薩行と言い換えるのと同じですね。