正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・14

鎌倉仏教の祖師たちは叡山に留まらず敢えて私度僧としての道を選びますが、そうした選択について松尾氏は重複箇所もありますが、以下のように推察されています。

親鸞は、当時、最澄作とされた『末法燈明記』を引用しながら、末法の今、戒律を守っている僧は、市場にいる虎のような存在で、危険で信頼できないと、切り捨てている点でした。親鸞のそうした、痛烈きわまりない、切々たる心情の背景には、何があったのでしょうか。こうした歯に衣着せぬ批評の背景に、親鸞の実体験があったはずです」

「こうした末法意識や無戒の認識は、やはり、自己が修行生活を送った延暦寺での破戒状況に基ずくと考えられます。兵法をこととする僧兵の存在、多くの真弟子(僧侶の子どもで自分の弟子となった僧)の存在に見られる女犯の流行、そして、男色の一般化、がその背景にあったのでしょう」
「当時の延暦寺の官僧たちの間では、女犯や童子たちとの男色が一般的でした。九歳で入寺した親鸞も、男色の環境を免れなかったと思われます」(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

 親鸞もその洗礼を浴びたことを松尾氏は指摘していますが、日蓮の場合は成人してから叡山遊学でしたので稚児の時代は通過儀礼は受けなかったものと思われます。しかし、叡山も含めて日本仏教の裏の破戒の実態は目にしてたと思いますし、それを違和感なく受け入れたとしたものかについては、遺文に伺うことができます。