正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・16

前回の記事に関連した話ですが、このお話は日蓮にも関係する鎌倉幕府北条時頼が創設した建長寺というお寺の坊さんの話です。

昔、鎌倉建長寺広徳院に自休蔵主という僧侶がいました。ある日、自休は江の島へ百日詣に出かけ、同じく江の島へ詣でていた、鎌倉鶴岡相承院で学問を学んでいる白菊という稚児に出会いました。自休はその日から白菊のことが頭から離れず、思いを込めた便りを幾度となく白菊に送りましたが、返事はありませんでした。思いを募らせる自休に白菊は追い込まれ、瀬戸際に立たされました。
ある夜、白菊は江の島へ渡り、扇子に歌を書いて島の渡し守に渡し、私を訪ねる者がいたらこれを見せてください、と言い残して淵から身を投じました。
白菊を訪ねた自休がこの扇子を開いてみると「白菊を忍ぶ里の人とはば 思い入り江の島とこたへよ」「うきことを 思い入り江の島かげに すてる命は波の下草」とありました。これを見た自休は「白菊の 花のなさけのふかき海に ともに入り江の島ぞうれしき」と残し、白菊のあとを追ったといいます。(稚児ガ淵由来)

この事件があった地には、大正初期まで白菊の碑があったといいます。これと似たような話が日蓮が居た身延山にもあり伝説として残されています。

◎稚児が淵 身延山
昔応永の頃、花若、月若という2人の稚児がいた。たいそう美しかったので、1山の僧が、この稚児を寵(ちょう)愛したため、2人は「武人身を投げる」という辞世を残し、池へ身を投げて死んだ、衆僧哀れんで祠を立てて2人を祀(まつ)り、稚児文殊といった。(甲州伝説集)

◎稚児文殊の井 身延山上之山奥之院道
「稚児が淵」伝説のもとになった話だといわれている。昔、本山に文殊という稚児がいた。その美しい姿に思いをよせる女人があった。そして少年文殊は、その女人の思いで、足に子を懐妊した。寺内にあるものが、そのような身になったのを恥じて、一夜筆の穂に糊をつけて干し固めて、それで咽喉をついてこの井戸に入水して死んだ。その井戸は、大杉の根元にあり、清水が根から湧き出しており、碑も残されている。(身延の伝説)

この花若・月若のお話は「裏見寒話」には「児文殊」とあります。江ノ島「稚児が淵」「児文殊の井」の身投げする大筋が似ていますので、混同されがちですが、自害した場所や、伝説、時代が異なっていてもこの当時、こういうことが僧侶の聖域であったことが裏付けられます。

それにしても出家した坊さんだからって、欲望があるのは分かりますが、子供相手の色恋はダメでしょう・・・。