正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・17

破戒もここまで極まると仏道なのか、色の道なのか不明ですけど、「八宗の僧徒たちこの道に入らざるはなし」とも言われるほど男色はお盛んだったそうです。明治時代には歌舞伎と僧侶の世界にだけ衆道(男色のこと)が残ったと言われてますが、日蓮宗身延山において前回の伝説がありながら、それほど大きく取り上げられなかったのは、戦国期の武田信玄が統治時代に、既に日蓮宗の僧侶は妻帯が領主から認められており、身延山では、他宗ほど男色に走る必要性が低かったそうです。

「稚児を持つ者は早く仏果菩提を証す。善く稚児を持つは斯(かく)の如く、悪(あし)く稚児を持つ者は魔道の種因(しゅいん)と成るべし。稚児は聖(ひじり)の為なり。稚児なくんば聖あるべからず、聖なくして稚児あるべからず」(弘児聖教秘伝)

これは叡山に残された秘伝だそうですが、天台では、この稚児を観音菩薩(如意輪〈にょいりん〉観音)の化現(けげん)とみなして崇拝したようです。
僧侶の愛玩物・稚児はただ僧侶の性の相手にとどまるものではなく、僧侶たちの前に現れた神仏にほかならなない存在であると裏付けを設けたようです。 その背景には断ち切れぬ煩悩を僧侶たちが肯定するために手前勝手な歪みのある理屈が垣間みえて口あんぐりなのは、私だけではないと思います。

「房中術と秘密のヨーガ」にはこうした存在について

稚児とは、女人禁制の寺院において僧侶の恋人役をつとめた美少年のことであって、出家行者のために寺に入った小坊主とは違う。台密(たいみつ)僧の個人的な“囲い者”であり、「幽玄(ゆうげん)を専(もっぱ)らにする身」(守覚法親王〈しゅかくほっしんのう〉『右記』〈うき〉)の、文字どおりの“恋童(れんどう)”なのである。(性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ)

いやはや呆れた覚道の伝統があったものです。