正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・18

稚児は寺院に5、6才で引き取られ、実家からは一文半銭の出費もなく育てられました。
寺の雑用や僧侶のお相手から一定年令になると、発願をして出家得度して僧侶になる者は、ある意味で先が保障された人ですが、残念ながら全部がその範囲に入れるわけでは有りません。
先に紹介した人のように将来をはかなんで入水したり僧侶になれなかった稚児は死しても寺域内に葬られることはなく、寺域外に水葬・土葬される事が通常であったので、寺域内に祀られた稚児は(祠であって墓ではない)特定の人に余程の寵愛を受けいてたと、南方熊楠は指摘しています。

一例として親鸞のひ孫にあたる覚如は、稚児としてはかなり秀でていたようです。

「幼少の頃から学才の誉れが高く、容姿端麗であったようです。13歳で延暦寺の学僧宗澄の許に入室しましたが、14歳の時に、三井寺の浄珍が、僧兵を遣わして武力で宗澄から覚如を奪ったといいます。その理由は、「容儀事がらも優美なる体」(容姿端麗)であったからといいます。しかしまもなく、興福寺の一乗院の信昭が、浄珍の許から覚如を奪おうとしたようです。しかし叶わなかったため、父親の覚恵に頼んで、ついに覚如興福寺に移住させたというのです」(松尾剛次・破戒と男色の仏教史)

こうした例はほぼ稀で、すべての稚児が将来を安泰に送ったわけではないようです。僧侶になれず年老いても童形のまま過ごす奇異な姿の者もすくなくなかったようです。
京都醍醐寺には「稚児乃草子」という絵巻が格蔵されていますが、そこには年老いて男根が勃起しなくなって挿入できなくなった僧侶を不憫に思い、肛門を拡張できるように鍛錬した稚児の話などが載っています。

さてこの世を苦として解脱・成仏を願う仏教の僧侶がこうした無自覚な破戒の人生を送ってその先どうなるものか、といいますと「往生要集」には、稚児と性交した者が地獄に堕ちて苦を受けるということが説かれています。

また十六地獄が説かれる「正法念処経」には生前に殺生・盗み・邪淫の罪を犯したものが落とされる衆合地獄の小地獄を解説しています。

その一つの多苦悩処(たくのうしょ)という場所は、男色者が落ちる。罪人が生前に愛した男(本人かどうかは不明)がいて、罪人がそれを抱くと相手の男から発する炎で焼き尽くされる。しかし再び生き返り、同じことが繰り返される。

こういうことを在家の信者には説きながら、自分は僧坊で地獄に落ちるような行為に身を焦がしていたのですから、わかっちゃいるけど、やめられなかったんですね。