正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

破戒の坊さん考・19

いろいろな角度で大昔の日本の僧侶の堕落の姿を見てきましたが、大石寺でも稚児法主という人が居たようです。
その存在は大石寺9世日有にして、満17才で貫首職。12世法主日鎮は満13才で登座、13世日院は満9才で、14世日主は満18才。9世日有から数えると約200年近くに弱年齢の貫首職の人が四人も居るんですね。

開祖さんも稚児を側において(五人土籠御書)居たですから、こういう風習は男ばかりの僧侶の世界で無いとはいえません。

この大石寺の稚児について五十九代の貫首を務めた堀日亨氏が面白い事を残している。

「児」とはちごとよむ童子にして寺院の召使なり、当時一般の寺院に童体の弟子あり、召し使はれながら修学を励みて後に剃髪出家す、中には十七八歳まで児姿なるあり、此の児の中に俗性高貴なるは・非常に喜ばれ殊に容色学才あるは・一山の珍重する所にして・此が争奪の為に干才を交へたる事珍しからず(第59世日亨上人著『有師化儀抄注解』 『富士宗学要集』第1巻122頁)

ここで注目は「此の児の中に俗性高貴なるは・非常に喜ばれ殊に容色学才あるは・一山の珍重する所にして・此が争奪の為に干才を交へたる事珍しからず」の部分ですね。これは稚児の僧侶の世界での役割を知って暗に大石寺でもそういう風化があったことを知らしめてます。

もう一つは、こんな年齢で金銭面での経営や個性的な並み居る信者さんの象徴として貫首職が勤まるのか?大石寺ではそこをサポートが横に居たからと弁明してますが、それよりも唯受一人の法義が理解できるんでしょうか?

延暦寺天台宗では、稚児を観音菩薩(如意輪〈にょいりん〉観音)の化現(けげん)とみなして崇拝した。稚児はただの性の相手にとどまるものではなく、僧侶たちの前に現れた神仏的存在が稚児にに写ったとみなされています。

「稚児を持つ者は早く仏果菩提を証す。善く稚児を持つは斯(かく)の如く、悪(あし)く稚児を持つ者は魔道の種因(しゅいん)と成るべし。稚児は聖(ひじり)の為なり。稚児なくんば聖あるべからず、聖なくして稚児あるべからず」(弘児聖教秘伝)

 中世の「秋夜長物語」などの稚児物語と呼ばれる文学資料には、僧侶が稚児と交接して仏道を悟るというものが大半です。
先にも見たように稚児は、文殊菩薩観音菩薩の化身として僧侶が稚児と性交をもつということは、男性としての愛欲を解消するだけの意味ではなく、菩薩の救済を得る行為でもあったのである。
「児灌頂(稚児潅頂)」という思想により、醜い自己を離れ美を精神的に獲得しようと、又、菩薩と一体化するような感覚を得るために、僧侶は稚児との交接を必要としていた。
「児灌頂」という思想のもと、菩薩の化身として僧侶を救うことを求められた存在であり、人材不足に悩まされた大石寺では象徴として稚児を貫首に据え、仏の救済をスライドさせながら不思議な存在、稚児法主の時代が有ることも仏教僧の持つ闇のようです。

この男色の世界、現在でも僧侶の世界に残っているようですが、大石寺では現在でも一部僧侶の間で脈々と続いているようです。このテーマはここで一旦終了です。