正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

機能不全の日本仏教:2

インドの言葉で戒律とはヴィナヤ、シーラといいます、Vinaya(ヴィナヤ)とは「反対方向へ導く」という意味。(vi 「反対方向へ」+nayati 「導く、指導する」)
初期仏教で制定された戒律とは、世間の一般的な生き方を違う方向へ導くためのものです。

 

たとえば、『嘘をつかないこと』というのはsîlaで、嘘をつかないことによって自分を道徳的に戒めることは vinaya です。ですから五戒 (pañca-sîla)、八戒 (dasa-sîla) などには、sîla という語が使われています。

 

日本にも渡ってきた漢訳の阿含パーリ語のニカーヤ等の阿含経典中には、在家者が出家を決意し戒を守り定を修め智慧を獲得し最終的に解脱に至るという、ある一定の形式を持った段階的な修道項目が説かれています。
これは「修行道」とも「行」とも呼ばれ、戒・定・慧の三学の細密部分を出家者が辿るべき基本的な階梯状態を説いたものと位置付けられています。

その例としていまだ僧にはなっていませんが、初期仏教でも沙弥という見習いの出家者の戒律をみてますと、その沙弥が守るべき十戒があります。

●不殺生:生き物を殺してはならない。
不偸盗:盗んではならない。
不淫 :性行為をしてはならない。
不妄語:嘘をついてはならない。
不飲酒:酒を飲んではならない。
不塗飾香鬘(ふずじきこうまん):世俗の香水や装飾(貴金属)類を身に付けてはならない。
不歌舞観聴(ふかぶかんちょう):歌や音楽、踊りや映画等を鑑賞してはならない。
(ミュージカルやコンサート、スポーツ観戦も含む)
不坐高広大牀(ふざこうこうだいしょう):膝よりも高い寝具や、 装飾を伴うベッドに寝てはいけない。
不非時食(ふひじじき):食事は一日二回で、それ以外に間食をしてはいけない。
不蓄金銀宝(ふちくこんごんほう):お金や金銀・宝石類を含めて、 個人の資産となる物を所有してはならない。(沙弥の十戒)

これを見ると日本の坊さんは、当時の見習い出家者(沙弥)の戒律さえマトモに守ってないのがよく判ります。
ところで、この戒を守ることに依って生じる戒徳ですが、出家者・在家であれ、その徳のランクは下から順に行きますと、

無戒の凡夫(戒を正しく守らない凡夫)→持戒の凡夫(戒を正しく守る凡夫)→禅定体験のある瞑想者→預流向者→預流者→一来向者→一来者→不還向者→不還者→阿羅漢向者→阿羅漢→独覚者→正覚者(仏陀

とこのようになっています。つまり戒を守るということは、心を清浄な状態にキープするためで、戒徳はキープされた状態のランクであることが理解できます。清浄であればあるほど良いに決まっています。
その清浄とは、エゴにまみれていない状態ですね、それをキープするために持戒するわけです、ここで大乗、とくに末法無戒という理屈がどういうことか理解できると思います。

無戒である、つまり欲まみれ、煩悩充満という状態ですね。それを煩悩即菩提とか言って仏徒になる時に受戒される「戒体」の摩訶不思議なチカラに預けてしまうのですから、自行ではなくまったく他力本願です。

「元来、仏道修行の要は戒律を守って罪過を離れ、身心を清浄にし、禅定を修して心を定め、清浄なる叡知を養い、世界人生の実相を達観し、煩悩を断尽することにある。」
(上田天瑞『戒律の思想と歴史』)

「小乗戒として最も完全なものは比丘、比丘尼の具足戒といわれるものである。これは一人前の出家、すなわち二十歳以上に達した出家の受持すべき戒で、これによって比丘、比丘尼は教団の正員となることができるのである。」(上田天瑞『戒律の思想と歴史』)

 こういうことを大乗家でも云うのですが、妻帯一つ守れない人が大杉で、であるのに信者には清浄である徳を説くのですから、何百年も前から機能不全です。