正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

難とセットの信

日蓮さんの信仰を全うするに一番難しい壁は、人の信仰をボロクソに批判するので必ず倍返しが出てきます。そこですね、それをご本人も法難と言ってます。
法が正しいゆえの難に遭うというのですが、日蓮さん信仰の場合は自作自演というかプロレスみたいに相手を煽って、注目させて仕掛けるアングルのような部分が多分にあります。
有名な立正安国論は浄土宗を批判してますが、誰に依頼されたわけでもない勘文を勝手に作成して北条時頼に送りつけます。当然無視されます。この手引を幕府内の儒学者(大学三郎比企能本殿)が仲介・作成助成していたようです。

捨閉閣抛(日蓮の造語であって、法然の選択集には出てこない)の選択思想が邪見の最たるもので、それがはびこるために災害が起るのだ、と言われて、ただちに我々は納得できるだろうか。よほどこちこちの日蓮信者ならばともかく、そうでなければ、ちょっと頭をひねるのではなかろうか。<略>むしろ、立正安国論を読んで、「これこそ正しい」と考え、直ちに念仏弾圧に乗り出す政治家がいたとしたら、その方がよほど危険であり、政治家として失格であろう。(末木文美士/日蓮入門)

立正安国論』の主張は法論要請で、公場で仏教の正邪を争うテーマです。どう考えても日蓮自ら騒ぎを興したことは一目瞭然で、念仏無間・禅天魔などの他宗批判の言動も、『御成敗式目』の第十二条のなかの、「悪口の咎」にあたるという名目で結果的に捕縛されることになります、これは当然ですね。

時頼はこの書(立正安国論)を黙殺した。この時点で、時頼は「世迷言」を口にする坊主め、と日蓮を処罰することすらできた。江戸時代だったら確実にそうなっただろう。なにしろ内容的にはまったく正しい、海国兵談や慎機論が『お上の御政道を批判している』と処罰の対象になったのだから。時頼は黙殺した。これは日蓮に対する「好意」だと、前掲書の大野氏は見ている。私もそう思う。(井沢元彦/逆説の日本史)

立正安国論は表に出ることはなかったんですが、なぜか一分内容が漏れて、憤まんを持った浄土宗の信徒や門人は幕府に訴えを起こします。

こうした混乱の事態を捨て置けなくなり、統制の為に幕府首脳は御成敗式目の第十二条に該当する「悪口の咎」を適用し、日蓮鎌倉市内から遠ざける意味で伊豆へ流罪処置を施したというのが本来の日蓮に関する処置、御政道です。
ところが日蓮の伝記本は、日蓮自身の記した遺文に拠っています。門下の弟子や信者の伝記となると日蓮のすべてを絶対とする傾向が強くなります。教団系の大部分の日蓮伝はこの類が多いのですので、自然と非の打ち所はなくなります。
文応元年の立正安国論提出後の騒動を法難というのですから、ちょっと言い過ぎでは無いかと思います。

さらに二回目の竜の口や佐渡流罪も伊豆へ流された前科者が再犯したので、当然ですね。しかも世情は外敵(蒙古)が攻めてくる緊迫した状況です、自然と不満分子や民衆扇動する人は遠ざけられるか、抹殺対象です。
こういうことを分かって日蓮アジテーション活動していますので、幕府からすればウルサイわけです。
幕府の処置として鎌倉市内から遠離されたのを日蓮は法難といい、この難を以って正法の証というのですから、日蓮の云う「信」というのはかなり意図的で確信犯、随分不純な物が多い事となります。