正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

因果脱法の題目

過去の重罪消し果てるために難に遭うというのが、日蓮信仰の一つのキモとすると、もう一つ肝要があります。

日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(御書六五三ページ)と説かれています。(中略)私たち末法の凡夫は、久遠元初(がんじょ)の因果の功徳を摂(おさ)めた妙法五字の御本尊に向かい、唱題に励むとき、受持即観心の義が直ちに相成(あいな)り、久遠元初の本仏(ほんぶつ)大聖人が証得された因果一念の功徳を自然に得ることができるのです。(日蓮正宗サイトから引用)

 要するに本尊を拝んで題目あげていれば「因果一念の功徳を自然に得ることができるのです。」ということです。

これどういう理屈になっているかとサイトに書かれていることを引用しますと 

「因行果徳の二法」とは、因位の万行と果位の万徳の二法をいいます。

因位の万行とは、九界(くかい)の行者が五十二位や六即(ろくそく)の次第階悌(かいてい)を経(へ)て修する種々の行法で、その一つに菩薩の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)があります。
果位の万徳とは、仏界に具わる万徳であり、仏の十号(じゅうごう)等の功徳相をいいます。(同サイト)

しかし、これは熟脱(じゅくだつ)の衆生に対する教法であって、釈迦に縁のない末法の衆生はこれでは救われないそうです。そこで超脱法として一番上の方法で題目あげて仏の因行果徳を仏に感応して戴くということらしいです。
だったら最初からこれで完結しているんですが、そこにはこれを個人として受けているだけではダメで、折伏という行為をやって折伏受けた人が難を与えるという2つセットになっているようです。

で、結局は延々とエンドレスで個人(自行)として題目あげ、折伏として化他行をやれば難が来て過去世の重罪が出てきて滅せられ、というループ現象の中で成仏すると云うんですが、よく考えれば滅罪しているのに何故、難が来るのかとなれば、結局滅罪していないので難が起こるんですね。
であれば、仏の「因果一念の功徳を自然に得ることができるのです。」はどうなっているのか?が解決しないままこの世を終えることが、日蓮系で成仏というらしいです。

一言で言えば、無明を滅することができず六道輪廻しているのを菩薩行と言い換えただけです。