正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

似たもの通しの大乗

古代インドに於いて、仏教とジャイナ教はほぼ同時期に成立しましたが
戒に厳格な初期仏教から離れた大乗仏教は、この真実に気づく持戒→禅定→智慧を守るのはいつまでたっても上座部の長老の教えに従順でなければ困難なので、否定します。

釈迦の教えた流れはこうです。戒によって身を修め→定(じょう)によって事象を深く観察し智慧の力を得て、戒・定・慧によって根源的生存意欲(無明)を滅ぼし、根源の無明や渇愛から生じる煩悩を滅し、生存を肯定する欲望から生じる善悪の行為(業)を滅し、業を原動力とする輪廻から解脱するというのが、解脱までの一連の流れです。

大乗家は五戒(殺すな・盗むな・不倫するな・嘘をつくな・酒を飲むな)と言う単純な戒を守れない猟師や娼婦などにも門戸を開き信者拡大に釈迦の設定した決まりを無視しました。

同時期のジャイナ教の教えは、同じように戒(殺すな・盗むな・不倫するな・嘘をつくな)は共通でもう一つ所有するなが酒に変わって取り入れられ、この5つを守る言葉を発して誓います。これを五誓戒といいます。

この五誓戒を立て、出家・在家であれ「誓い」に対する絶対的な信仰を強調しています。言葉を誓うことで実現するという信仰です。

紀元前後にそれまでの仏教を批判しながらハイ然として興った大乗仏教は、ヒンドゥー教にならって、仏、菩薩の無限の慈悲心による民衆救済を唱えた。・・・真実と不離一体である誓戒の思想を受けいれ、・・・菩薩の理念を支える中核に据えたのである。(インド哲学七つの疑問:宮元啓一・P40)

菩薩は、戒定慧の三学という修行体系にのっとって彼岸に渡ったのではなく、真実のことばの力によって彼岸に渡ったのだ、ということである。菩薩の行という概念は、旧来の修行概念とは、まったく次元を異にしているのである。(インド哲学七つの疑問:宮元啓一・P43)

この自分が発した言葉(真実の言葉)を厳格に守る「誓戒」(ヴリッタ)が民衆の支持を得て、バラモン教から発展したヒンドゥー教もこの「誓戒」を重んじるようになり→最高神など神々に絶対的な帰依を行い→誓約を堅固に守る(ドリダ・ブラッダ)事によって→神から絶対的な恩寵を得ることが出来るという風に変化し→以後、誓言によるバクティ・ヨガ(絶対的な信仰によって悟りを得る)などを生み出し、ほぼ呪術信仰のような形で印度で急速に支持を拡大していきました。