正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏性は題目

大乗圏の殆どが唱える「悉有仏性」は、「涅槃経」の師子吼菩薩品に説く「悉く仏性有り、如来は常住にして変易(へんにゃく)あることなし(悉有仏性 如来常住 無有変易)」が根拠となっています。
法華経にはそのものズバリの仏性という語句はないのですが、方便品の「諸法実相」をそれに当てているといいます。
「悉有(しつう)」は、あらゆるものに、すべてにゆきわたって確かに存在するということ。「仏性」は、仏になる可能性ですから「悉有仏性」とは、一切の衆生は例外なくみな仏になる可能性を持っているということです。別名如来蔵思想です。

今までの法性=仏種=戒体=仏性はすべて言い方の変化だけで同じことを言おうとしていることが理解できます。
さてこの一連の成仏は因果(修因による仏果)を施せば得られるものなのか、こういう釈があります。

第一に言う。「仏と性はいずれも因の範囲にある名称である。一切衆生に霊妙な悟りの本性があり、成仏しても変化することがなく木石等に【悟りの】本性がないのと区別される。そこで『大経』には「一切衆生 にはみな仏性がある」とある(南本涅槃経・巻第七:邪正品解説)

 先の性種と乗種の関係がここでも位置づけられます。しかし日蓮の遺文にはこういうのがあります。

■四信五品抄に「問うて云く末代初心の行者何物をか制止するや、答えて曰く檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり」

■四信五品抄に「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり市に虎有るが如し此れ誰か信ず可き」

■教行証御書に「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、
但し此の具足の妙戒は一度持つて後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」

これらは題目に収斂された万戒の功徳を持つことで戒を金剛宝の器に譬え円頓戒として、末法における戒とは受持即持戒でその戒体(法体)とは日蓮は、題目の七字とするようです。