正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

種は仏性にならない

鎌倉時代の僧侶である日蓮さんは、金剛法器戒を持つ=受持即持戒で成仏が叶うとしてます。ってことで一件落着かなと思うと、同じ時代の道元さんは全く別のことを言います。

「ある一類おもわく、仏性は草木の種子のごとし、法雨のうるおひしきりにうるおすとき、芽茎(がきょう)成長し、枝葉華果も(茂)すことあり、果実さらに種子をはらめり。かくのごとく見解(けんげ)する。凡夫の情量なり。」(正法眼蔵・仏性の段)

ざっと意味をとるとある一類の人達は、仏性というものを草木の種と同じように考えている。
植物の種と同じように心田に種をまくと、日光の恵みや雨のうるおいで、やがて芽を出し茎も成長し、枝や葉が茂り、花が咲き実を結ばせる。
衆生にくだされた仏性(仏種)もその通りで、衆生の中にくだされた仏性の種が宿っていて、いろいろな仏縁や良縁、つまり因縁がこれを育てると、ついには結実して真正の仏性があらわれる。このように思っている者が沢山いるが、これは凡夫の勝手な憶測にすぎないのである。つまり妄想だというのですね。これと全く違う解釈の仏性が日蓮遺文にあります。

■「日蓮は日本国安房国あわのくにと申す国に生れて候ひしが、民の家より出でて頭(こうべ)をそり袈裟をき(着)たり。此の度いかにもして仏種をもう(植)へ、生死を離るる身とならん」(妙法比丘尼御返事)

■「法華経は種(たね)の如く、仏はうへ(植え)ての如く、衆生は田の如くなり。若し此等の義をたがへ(違え)させ給はば日蓮も後生は助け申すまじく候」(曽谷殿御返事)

まったく真逆の解釈が為されている事になります。 道元さんは発菩提心し、そして修行し、それが済めば身心脱落(菩提を得る)とはいわないようです。『発・菩提心はそのまま得・菩提心ということになるようです。

日蓮さんは題目あげて信じれば仏種が成長して仏果を得るというスタンスですね。面白いですね、同じように叡山で学んだのに仏種に関しては全く違う考え方なんですね。