正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

結局難儀な成仏

道元さんの修行論は下種とか仏種の有る無しではなく、また戒体の内容を問わず、発菩提心を以って菩提心を得るというものでした。それも因果時間差ではなく、只管打坐という意味も目的もぶっ飛んだ状態に自分を置くことで修行を目的化しないという厳しいものです。

さて日蓮さんは、と言いますと。

『結句は卯月八日夜半寅の時に妙法の本円戒を以て受職灌頂せしめ奉る者なり。此の受職を得るの人争でか現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。』(最蓮房御返事・真偽未決)

『釈迦既に妙法の智水を以て、日蓮の頂に灌ぎて面授口決せしめ給へり。日蓮又日浄に受職せしむ。』(得受職人功徳法門抄・偽書濃厚)

とこういう状態で、これに法難がプラスされれば、捨身・殉難行為それでも信じる心が成仏だと最後期の方では断定してます。

■此の経をききうくる(聞き受くる)人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希(まれ)なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、「則為疾得・無上仏道」は疑なし、三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云うなり(四条金吾殿御返事・此経難持御書)

妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり (御義口伝 )

日蓮系がマゾでなければ続けられないと言われる根拠の遺文です。こういう遺文の存在で鍋冠り日親さんとか不受不施派とか、命を落とした人は多いですね。 

どちらが正しいのか?それともどちらも間違っているのか?それにしても法然仏教を否定して更に易行を立てたはずの日蓮さん、であるのに法難受けなきゃ、勤行しなきゃ、題目いっぱいあげなきゃ、で何ら易行になってないという仏道というのは複雑で怪奇ですね。