正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

種のおかしさ

いままで確認してきた種子、これはおそらく最初期はモノの譬えだったと思うのですが、段々と何が輪廻するのか?我はないのに輪廻するものは何なのか?と別のインド思想派からツッコミを受けて、答えなければならずに、種の中に薫習というものが相続されて、現象は消えては現れするが、種(習気)が相続されていくと説明してます。

別名心相続とも言いますが、『大乗成業論』には、「此の識(=阿頼耶識)は間断なきに由るが故に、無心位に於ても亦た、有心と名づく」といっており、やはり何かが心の奥底に有るんだと言う設定ですね。

行為(業)は、何かの臭いが移るように、その影響・結果を「阿頼耶識」に「習気=種子」として植え付け(薫習)します。「習気=種子」が原因となって、成長して未来に行為を生み出します。この行為の原因としての側面が「種子」と表現されます。

初期仏教の論である無常・無我はどこにあるのか不明ですが、ともかく輪廻していく主体を「種子」と決めたようです。

日常の生活では通常の六識(認識活動)の下にそれらが蓄積される七識があり、このデータが「阿頼耶識」に「種子」を植え付け、「阿頼耶識」の「種子」が再び七識を生み出すという、相互関係が唯識派の考える「縁起」であり、「阿頼耶識縁起」と呼ばれます。

唯識派の「識」はこのように、相互関係によって、常に変化しつづけます。これに対して固定的実体もしくは「我」のないことや、実体性を欠いていることを意味する「空」を説く中観派から批判を受け、苦肉の策で「空」に相当するのが、執着をなくした「識」である「円成実性」を立てたりしてます。

だんだんツギハギみたいなものということがわかると思いますが、この唯識派中観派は相互に影響しながら中国へと流れ込み、そういう経緯を知らない日本仏教へと流れこんで行きます。