正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

世間誑惑の戒

日本に戒の考えはあっても律はないと指摘されたのは原始仏教の戒律に詳しい佐々木閑さんでした。日蓮遺文にはこういうのがあります。

「大小の戒律は世間誑惑の法」(行敏訴状御会通)

ここの「大小の戒律」とは、もちろん大乗戒と小乗戒のことですが、小乗の戒には在家信者に五戒、八斉戒などがあり、出家者には比丘に二百五十戒、比丘尼に五百戒などがあります。
それに対し大乗戒とは伝教大師が立てた延暦寺の法華円頓の戒のことで、法華経には円頓戒という概念は具体的なものがなく、梵網経を元に三聚浄戒と十重禁戒、四十八軽戒等を用いて円頓戒の戒相としました。

ところがこの梵網経はインドの経典ではなく中国で儒教をベースに編み直されたもので多分に儒教の孝徳の思想が入り込み、インド仏教本来のものではなくなっています。いまではこの経典は中国撰述のいわゆる偽経の類に確定です。

ところが、この大乗戒を日蓮さんは殊更に珍重し、伝教大師が南都の小乗戒を捨てて大乗戒に設定したことを高く評価しています。そして「大小の戒律は世間誑惑の法」と言い切ってます。

この辺りが仏教の経路を知らない日本仏教の悲しい所ですね。さらに同書で「法華の前に説ける一切の諸経は、皆是妄語にして出離の法に非ずと」と断定してますが、釈迦の定めた戒律をすっかり捨てて偽経を元に策定された法華経の戒を保つことを喜ぶ辺りが原理主義的発想です。

ところが日蓮さんは、後にはこの叡山の大乗戒も捨てて、仏性=仏種=南無妙法蓮華経の受持即持戒を言い出しますので、最初から梵網経が偽経で無根拠なのに、それをベースにとうとう無根拠に無根拠を重ねてそのままで走ってしまいます。

それにしても世間誑惑の法と言い切ってますが、特大ブーメランですね。